周知のように、池上氏はNHKの「週刊こどもニュース」で一躍、その名をはせた解説者。国際情勢や経済を初心者でも理解できるよう、かみくだいて説明するその番組には子どもだけではなくおとなにもファンが多いが、なんといっても人気が高かったのが「家族での会話」という設定で父親役を池上氏がつとめていた時代だった。
では、なぜ池上氏の解説は、それほどまでに人をひきつけるのだろう。もちろん、最大の理由は「わかりやすさ」なのだが、池上氏の場合、その語り口や姿勢にひとつの特徴がある。それは、「わかりやすさを求めるほどわかっていない人」をまったくさげすんだり責めたりしていない、ということだ。
池上氏はもともと、子ども向けニュースで「ふーん。で、お父さん、日銀って何をするところ?」といった初歩的な問いかけに「うん、いい質問だね。それはね」とやさしく解説する役だった。基本的には彼はいまもその姿勢を崩していないので、誰もが「デフレってどうしてダメなの?」「なぜCO2(二酸化炭素)が増えると環境に悪いの?」といった誰にもきけない質問、疑問を素直にきくことができる。それに対して池上氏も、「え、そんなことも知らないの?」とは決して言わない。いつも「うん、それはね」と誠実に一から答えてくれる。
知らないことは、恥ずかしいこと。私たちは日ごろ、そんなプレッシャーにさらされているからこそ、わかったふりをして経済新聞を開いたりCNNのニュースにむずかしい顔をしてうなずいたりしている。その無意味なよろいを池上氏の前では脱いで、「なにも知らない子ども」に戻ることができるのだ。
父親役のキャラクターを演じていた池上氏の前で「お父さん、ボク何も知らないんだよ、教えて」と言いたくなる私たちの“子ども回帰”は、それだけにとどまらない。書店には「世界一わかりやすい」「知識ゼロからわかる」といったタイトルの本が並び、それが軒並み、売れているという。以前は、そういった本に手を伸ばすのは恥ずかしい、レジに持って行くときはややコソコソと、といったためらいもあったはずだが、最近は堂々とワゴンに積まれ、パリッとした身なりのビジネスパーソンたちが当然のように購入している。
知らないことははっきり知らない、と言おう。そういった動きが定着するのは悪いことではないのだが、いつまでたっても「ゼロからわかる」のままで、そんな自分を正当化する人が増えるのはちょっと困りもの。そういえば大学でも、「夏目漱石? 一冊も読んだこと、ないですよ」「政治のことにはまったく興味も知識もないんです」と平気で口にする学生が目につくようになってきた。
わかりやすい解説で基本的な知識を得たら、少しは背伸びしてむずかしいことを知っているふりもする。あるいは、わからないなりにやや難解そうな本などにも取り組み、わからない用語などが出てきたら、すぐ誰かにきく前に、自分で何冊かほかの本も調べてみる。そういった“知への執着”も必要な気がする。
それとも、時代はすでに「そんなの、時間の無駄だよ。ツイッターでつぶやけば、すぐに誰かが答えを与えてくれるじゃない」と言う人が多数派になっているのだろうか。いずれにしても、“わかりやすさのブーム”は当然、続きそうである。