同時に、熱中症で倒れて病院に運ばれ、中には命を落とす人も続出。その多くは高齢者であった。「高齢者は炎天下で作業をしているわけでもないし、だいたい昔はエアコンもない中ですごしていたはずなのに、なぜいま熱中症に?」と疑問を持つ人も多いだろう。
熱中症は、その原因や症状によりタイプ分けされているが、室内で意識を失うような場合は「熱失神」に相当すると考えられる。これは、体温調節をしようとして皮膚に近い血管が急に広がることにより、脈が速くなり血圧が急激に低下して意識を失う、というものだ。
「熱失神」は、直射日光に当たって汗をダラダラかいて水分や塩分が足りなくなるタイプとは違うので、発汗も少ない。日光のあたらない高温多湿の室内では、とくにこの「熱失神」が起こりやすいと考えられる。若い人では、末梢の血管が少々広がるだけで血圧が急激に低下して循環不全が起きることはないが、体力が低下している高齢者では、これだけで死に直結することもある。ちなみに、2009年に急死した政治家の中川昭一氏も、アルコールと薬の併用後の睡眠中、この急性末梢循環不全が起きたと考えられている。
では、なぜ「熱失神」を発症する高齢者が増えたのか。おそらくいちばん考えられる原因は、“こもる生活”であろう。昔は、夏になれば窓も玄関も全開にして、とにかく風通しをよくするようにして暑さをしのいだ。夜でも窓はあけっぱなし、という家も少なくなかったと思う。子どものころ、近所に回覧板を届けに行くと、あけっぱなしの玄関から居間で昼寝をしている母子が見えた、といった経験を持つのは私だけではないだろう。
今ではそんな“あけっぱなし生活”は、防犯上とても考えられない。また、住まいもマンションやしっかりした造りの一戸建てに変わり、玄関から奥の窓へ風を逃がすといったこともできない。玄関も窓もしっかり閉めた通気性の悪い家にこもり、エアコンで温度や湿度を調整する、というのがいまの生活スタイルだ。だから夜間などエアコンを止めてしまうと、もう室温を下げる手立てはなくなってしまう。
さらに昔は、「屋内が暑ければ外に出る」という手段もあった。いわゆる夕涼みなどと称して、陽がかげるころになると路地に出した縁台に座り、うちわで仰ぎながら室温が下がるのを待つ。そんな工夫もできた。男性であればランニングシャツか甚平、女性であれば浴衣かムームーと呼ばれるストンとしたワンピース、それが夕涼みの定番ファッションであった。
ところがいま、高齢者が夕涼みをするような習慣もなければ、だいたいそんな場所もない。ランニングシャツだけで外をそぞろ歩きしようものなら、「下着姿の不審者が徘徊しています」と通報されてしまうかもしれない。夏であろうがシャツのボタンをきちんととめ、ズボンにベルトをしめてソックスも、という密閉性の高い服装の高齢者も増えた。
このように、きちんとした服装で閉めきった室内にいれば、それは体温調整もむずかしくなるのは当然。ぴったりとした衣服の下で、からだも「なんとかしなければ」と血管を拡張させて熱を逃そうとして、結果的に血圧低下を招くことになる。高齢者の熱中症は、彼らがいつのまにか“こもり生活”を強いられるようになったことのひとつの結果なのではないか、と思う。また地域のおじいさん、おばあさんが、窓をあけっぱなした家で昼寝をしたり、リラックスした格好で夕涼みに出てきたりできるような日がこない限り、この問題は解決しないのではないだろうか。同時にそれは、そういった“気が許せる社会”を私たちが再び作れるかどうか、という問題でもある。