取り調べでは事件にかかわったと供述していた人たちも、公判が始まると次々に証言をくつがえし、取り調べでの調書のほとんどは証拠として採用されない、という異例の事態。まったく虚構の筋書きを描こうとしていた検察に対してはもちろん、裁判所に対しても、「これまでの裁判でも、実は真実とは異なる供述調書にもとづいて判決が下されたことがあったのでは?」と疑問を抱いた人も多かったのではないか。
では、なぜ取り調べ段階で“ウソの供述”をしてしまった人たちがいるのだろう。取り調べで、やってもいないことを「やりました」と自白してしまうことを「虚偽自白」と言い、心理学的な研究の対象になっている。
虚偽自白には、意図的に誰かの身代わりになる「身代わり型」もあるが、もっとも多いのは目の前のつらい取り調べからとにかく逃れたい、と思うあまり、「わかりました、私がやったことにしてもらっていいですよ」と受け入れてしまう、「迎合型」だ。さらに、密室での取り調べの中で自分の記憶もあいまいになり、本人自身も「もしかするとやってしまったのかも」と思い込んで自白する、「自己同化型」という特殊なタイプも知られている。
これらはいずれも、「逮捕」という異常な事態の後、いきなり外部との連絡が絶たれ、密室で一日8時間もプロの取調官に尋問され、しかもそれがいつまで続くかもわからない、という特殊な状態に追い込まれて起こる一種の心理的な反応だと考えられている。
では、村木元局長は、なぜ160日以上にも及ぶ勾留のあいだ、一貫して「私はやっていません」と否認し続けることができたのであろうか。
もちろん、最大の理由は「本当にやっていなかったから」なのだが、先にも述べたように、たとえそうだとしても強硬な取り調べに耐え続けるのは簡単なことではない。とくに、挫折や失敗の経験の少ないいわゆるエリートや成功者ほど、「悪いことをしているはず」という前提で行われる取り調べには弱いはずだ。
雑誌に掲載された手記で、村木元局長は「娘たちのことを思ってがんばれた」とも記している。娘たちの人生で突然、アクシデントが起きたときにも、「お母さんもがんばったんだから」と自分のことを思い出して乗り越えてほしい、と考えたそうだ。このように「この人のこういう状況のために」という具体的にイメージできる目標があると、自分の信念を曲げずにすむことはたしかだ。
それからもうひとつ、大切だと思われるのは、村木元局長はいわゆる男性社会である官僚の世界の中で、まわりと余計な衝突をせずに、少しずつ自分のプランを実現に持っていくという手法を身につけていたことだ。最初から目立とうとしたり、まわりを支配しようとしたりせず、男性たちにもうまく協調するように見せながら、やるべきことはきちんとやる。このように最初から大きすぎる目標、非現実的な夢を持たず、「まずやれることだけをやる」という現実感覚を失わなかったことが、結果的に取調室という非日常的な空間では強みになった。おそらく元局長は、「どこにいても私は私」という感覚を持ち続けていられたのだと思う。
肩書が通用しなかったり携帯電話を忘れたりするだけで、すぐに動揺しがちな私たち。もちろん、誤った逮捕などという事態に巻き込まれないことがいちばんだが、もしものときのためにも、「常に等身大の自分を見失わない」ということは心がけておきたいものだ。