菅氏の遍路の旅が始まったのは、年金未納問題で民主党代表を辞任した2004年の7月。断続的に08年6月まで続けた後、中断していた。
開始した当初はパフォーマンスかとも思われていたが、菅氏の遍路へのこだわりは相当なものだったようで、首相在任時から「お遍路を続ける約束が残っている」と辞任後の再開を口にしていた。
言うまでもなく、四国の遍路は弘法大師ゆかりの寺を巡る行程であるが、菅氏が熱心な仏教徒だという話は聞かない。では、なぜ多忙な前首相がそこまで遍路にこだわるのだろうか。
四国遍路の旅は、全行程をまわるとなると、徒歩だと40日程度、バスなどの乗り物を利用しても10日はかかるというそれなりの“長丁場”。札所と呼ばれるそれぞれの寺では、手を合わせて読経をして朱印してもらって…と、やるべきことの手順もきちんと決まっている。高齢の人たちもまわれる道のりとはいえ、途中、山道や岬などけっこうな難所もある。逆に、国道沿いの単調な風景の中をひたすら歩き続けなければならない個所もあるという。
これまたよく知られていることだが、白装束に杖を携えて歩く巡礼者に対しては、地元の人たちが丁重にもてなす文化が根づいている。「お接待」と称して、休憩所が開放されていたり、飲み物、くだものやお菓子を手わたされることもある。これらはすべて無償で行われ、疲れた巡礼者たちはいたく感激することになる。
お遍路は、よく考えられ長い歴史を持つ人工的なイベントでありながら、テーマパークのアトラクションのように「乗っていれば最後まで行ける」というものではなく、それなりに自分の足や頭を使いながらまわらなければならない。エンターテイメント的な要素もあるが、宗教的な要素もある。苦労もあれば、楽しみもあり、終わった後には大きな達成感が得られる。つまり、完全に決められ、作られたものでもなければ、自分がゼロから切り開くものでもない、というバランスが絶妙なのである。
おそらく、大震災や原発事故が発生したときの首相であった菅氏にとって、この数カ月はまさに想定外、すべてが新しい事態であっただろう。これまでのマニュアルは通用せず、ひとつひとつを自分でクリエーションしていかなければならない。前人の跡を踏襲するのではなくて、「すべてをオリジナルで運営していける」というのは政治家としての醍醐味でもあるはずだ。しかし、菅氏にとっては、これはやや荷が重すぎたようだ。いや、菅氏でなくても、こういった事態で首相をまかされれば誰でも期待にこたえられなかったかもしれないが、遍路経験がある菅氏は、途中から強く夢想するようになったのではないか。「ある程度、順番もルールも決まっていて、でもそれなりの独自性も発揮され、そしてみんなが温かくご接待してくれるあの遍路の世界に戻りたい…」遍路は、“想定外”に疲れきった菅氏にとっての癒しなのだ。
10月2日に53番札所である円明寺から今回の遍路を再開した菅氏は、今回は数日の滞在ということだから88番まではたどり着けないだろう。そこで「続きはまた今度」と未練を残しながら四国を去れるのも、菅氏にとっては「これからの楽しみができた」と喜ばしいことに違いない。
とはいえ、首相を辞任してからも政治家は続ける菅氏。「震災からの復興と原発事故の収束を願う」と笑顔で語るのもよいが、心の癒しがすんだらぜひ、再び現実の世界に戻って力を発揮してもらいたいものだ。