橋下氏の選挙戦や政治手法は、府知事時代から独特であった。初対面からいきなり本題を持ち出し、切りかかってくる。「今日はひとまずあいさつだけで」ということはないのだ。
府知事になって間もなく、橋下氏はプロジェクトチームを作って、「ムダ」と判断した府の施設や文化事業の廃止を打ち出した。「みなさん、おつかれさまです」とねぎらうのではなく、いきなり「ハイ、あなたたちは不必要なので廃止です」と言われた担当者たちはさぞ驚き、うろたえたことであろう。この施設や事業の廃止をめぐって、当時の平松邦夫大阪市長と直接、話し合いが持たれたことがある。その様子を新聞はこう報じた。
「両首長の口調が激しさを増したのが文化論議論の時だ。
『今切れば、立て直すのに何年かかることか。財政だけでなく、文化をどう守るか考えてほしい』。
平松市長は顔を真っ赤にして、大阪フィルハーモニー交響楽団などへの補助金廃止を思いとどまるよう訴えた。
橋下知事は『残ったものこそ文化だ。府民が本当に残したいなら、(存続を求める)署名だけではなく1人千円でも出して見に行けばいい』と持論を展開。」(朝日新聞、2008年5月15日)
さらに橋下氏は、「府民や市民は署名はするが、お金を出してくれるのか」とも言ったと伝えられる。
これだけ過激なことを言われると、受け手はエキサイトして自分の態度をはっきり表明せざるをえない。「文化をカネで勘定するなんて、とんでもない! 橋下さんの意見には断固、反対だ!」と思うか、逆に「よく言った! たしかに赤字続きで何が文化だ! ムダは徹底的に省け!」と思うか。こうして人々の意見を「黒か白か」に二分して、対立の構図を明確にする。そうなると、若くて見た目もスマート、プレゼンテーション能力の高い橋下氏には絶対的な利がある。そういう意味で、橋下氏はよく言われるような“独裁者”ではなく、“ディベートの達人”なのだろう。
しかも、橋下氏のこのディベート能力の多くは、短い時間で勝敗が決まるテレビの世界で鍛えられたものだ。むずかしい資料や複雑なデータなどは極力、用いず、ひとつの発言はほとんどテレビの1行テロップですむような短さとインパクトである。
今回の市長選挙でも橋下氏は「大阪都構想」という目立つ政策を柱に、公務員改革、教育改革をかなり大胆に打ち出した。既成政党の勢力や識者たちはいち早く「とんでもない!」と異議を唱えたが、そうなると一般の市民たちは、その向こうを張るかのように「あんな人たちは、自分らを守ることしか考えてないんだ。やっぱり橋下さんに託してみよう」ということになる。
対立の構図を作っては、人々を自分の側につける天才。それが橋下氏という人なのだろう。しかし、地方自治は1時間で終わるテレビの討論番組ではない。議論に勝ったほうがVサインをしてニコニコとエンディングを迎えるテレビ番組とは違い、本当の仕事が始まるのはこれからだ。社会を「黒と白」に分けて片方を切り捨てるだけではなく、自分と考え方や意見が異なる人たちの話にも耳を傾け、場合によっては折衷案も受け入れることができるのだろうか。その手腕を見守りたい。