とはいえ、金総書記も私たちと同じひとりの人間であることには変わりない。その胸のうちではいろいろなことを考え、感じ、ときには悩んだり傷ついたりしたこともあっただろう。私も精神科医として、その言動や表情から何かを読み取り、分析してみたいと何度も思ったことがあった。しかし、なかなかその人間性が透けて見える場面がない。
誰もが気づく金総書記の特徴は、あのくすんだ色の作業服だ。いつも同じようなジャンパーにズボン。生地が高級品だとかサイズもすべて測った特注品だとか言われているが、どう見ても国家元首の着るものではない。いくら「いつも国民とともに」というのをアピールしようとしているにしても、もう少し権威や品格を感じさせるような服装もありそうだ。
私は、あの作業服に、金総書記を読み解くひとつの鍵があったのではないか、と思う。総書記の父親である北朝鮮の建国者、金日成氏は、黒の人民服や軍服をよく着用し、晩年、国際舞台にも登場するようになってからはスーツを愛用していた。堂々とした体躯の金日成氏には、黒っぽいスーツがなかなかよく似合い、独特の存在感をかもし出していた。
一方、息子である金正日総書記は、体格にも恵まれず、表情や身のこなしにもいまひとつ威厳がない。もちろん北朝鮮はさまざまな伝説を作り上げ、総書記を神格化しようとしていたが、彼が指導者の座につけたのはひとえに建国者の息子であるから、というのは誰の目にも明らかだ。おそらく本人も、そのことはよく知っていたと思う。
だとすれば、できれば父親以上の指導者になりたいが、どう考えても父を超える偉大なリーダーにはなれそうにない。そう感じた金総書記が、「せめて父親とは比べられたくない」と思ったとしても、不思議ではない。そのためにまず実行したのが、「父親とは同じ服装をしない」ということだったのではないか。立派なスーツなどを着て「日成氏とはだいぶ違うね」などと言われるよりは、最初からあえて庶民的な作業服を着ていればそれ以上、少なくとも外見に関しては批判されることはないだろう…。
あのどう考えても格調高いとは言えない服装は、彼なりの父親に対する精いっぱいの抵抗の表現だったのではないだろうか。しかし、残念ながら金総書記が父親とは違う独自路線を歩み、北朝鮮という国をよい方向に導いたとはとても思えない。
さて、このたび権力を移譲された正恩氏はどうなのだろう。まだカメラの前に何度も姿を現したことのない正恩氏だが、少なくとも父親のような作業服ではなくて、黒い人民服姿を好んでいるようだ。体躯も大きく、どこか祖父の日成氏を思わせる顔貌である。金総書記は、自分ではなくて、自分が意識し若干の抵抗さえ試みていた父親に似ている息子・正恩氏を、どういう思いで見ていたのだろう。頼もしいと思ったのか、それともどこかうらやましく思っていたのか…。
そのあたり、もう本人に尋ねることはできなくなったが、いずれにしても金総書記がただの二世ではなくて、かなり屈折した指導者であったことは確かだと思う。その屈折が、日本人拉致などの暴走に向かわせたとも考えられる。新しく権力の座についた正恩氏は、その屈折がない分、国際社会に対しても胸襟を開く率直さを持っている人であってほしい、と願うばかりである。