とくに週刊誌や夕刊紙は、「東京では難民が100万人発生」とか「津波が東京タワーまで押し寄せる」など、明日にでも破局的事態が訪れかねない、といった書きぶりだ。
もちろん、この数字はとても看過できないものだ。とはいえ、すべての人にとって「明日すぐに避難しなければ」という切迫感をもたらすものでもない。「かなりの確率で地震が来そう…でも、来ないかもしれないし、来るとしてもすぐではないかもしれない」というなんとも言えないイヤな気分のまま、日々を送っている人も少なくないのではないか。
この地震予測情報がこれほど話題になっているいちばんの理由は、もちろん、災害の規模や影響を受ける人が膨大だと予測されるからだ。ただ、どうもそれだけではなさそうだ。おそらく、そこには心理的な理由も隠されている。それは、「そのうち破局的な事態がやって来るだろう」という私たちの中の漠然とした不安感と、この「4年で70%」という数字がまさにぴったり当てはまったからではないか。
つまり、地震に限らず、リストラ、大病、離婚や失恋、破産といった個人的な問題から、日本の経済的な破綻や政治の混乱など社会的な問題まで、すべてのことについて「4年で70%」くらいの確率で破局的な事態が訪れるのでは、と予感していた人が多い、ということだ。
しかも、地震と同じように、これくらいの確率で訪れるたいへんな事態に対して、私たちができる備えというのはきわめて限られている。「リストラされてもいいように、資格でも取っておくか」とか「経済が再生される可能性は低そうだけれど、あの企業経営者なら少しは立て直してくれそうだから、応援してみようか」といった程度だ。「100%の確率で来年、起きます」というほどの切迫感や、「今すぐに準備しよう」というモチベーションまではいまひとつ持てない。
「いつかは来そう、でも今ではない」という漠然としたイヤな感じを抱きながら、私たちはこれからの社会を生きていかなければならない。「私だけは絶対にそんな目にあうはずはない」と不安から目を背けることは、もうできない。そういう中で必要なことは、なんであろう。もちろん、この機会に家からの避難経路を確認しておいたり、非常用持ち出し袋の内容を点検しておいたりすることも必要だ。しかし、もっとも大切なのは、デマに惑わされたり不安からパニックに陥ったりしないようにしながら、なるべく冷静に客観的に振る舞えるよう、日ごろから心のトレーニングをしておくことではないだろうか。また、ツイッターなどのネットの短信の情報に「ホント!?」と条件反射のように反応せずに、ひと呼吸置いて「情報源は信用できるだろうか」と考える。そうやって常に、事態をちょっと離れたところから把握する態度、それこそ破局的事態を切り抜け、生き延びるためにもっとも必要なメンタルの姿勢だと思う。
「4年で70%」に「えー、どうしよう!」ではなく、「なるほど。ということは今できることは」と自分の生活や仕事のあり方を振り返る。なかなかむずかしいかもしれないが、恐怖を増幅させてもそこで得をすることは何もない。