しかし、それが十分に行われたかというと必ずしもそうではない、という声もある。もちろん、震災発生直後から精神科医を中心とする「心のケア」のチームが組まれ、現地入りするなど初動は早かった。ただ、その人たちは被災者全体をケアしたわけではなく、避難所生活などで治療を中断することになった通院者や、退院を余儀なくされた入院患者たちの手当てに追われたと聞いた。また発達障害などの問題を持っていて、突然の環境の変化に適応できず状態が悪化したケースも少なくなかったようだ。こういった純粋な「医療」を必要としている人たちに対しては、比較的、スムーズに支援が行われた。
ところがそれ以外の人たち、つまり震災が起きるまでは健康にすごしていた人たちへの「心のケア」は、誰がやるべきか、そしてどうやるべきか、という点でやや混乱が見られた。大きな問題になったのは、避難所などで頻繁に行われたアンケート調査だ。心の専門家を名乗る人が突然、避難所にやって来て、「みなさんのトラウマの状況を調べます」と調査用紙を配る。そこには「震災のことを考えるとその時の気持ちがぶりかえしてきますか」「いつも震災のことが頭から離れないですか」といった質問が並ぶ。まじめに答えようとしているうちに、悲しみや怒りが再びこみ上げてきて混乱する人もいるだろう。
さらに、避難所などを直接訪問して、より生々しい“調査”をしていった専門家もいるようだ。初対面の人から「ご家族のうち何人が亡くなったのでしょうか?」「ご遺体と対面したときの気持ちは?」などときかれたら、その人はいったいどんな気持ちになるか。これは、「心のケア」とはまさに正反対の行為といえる。
そして、何より問題なのは、「悲しいこと、つらいことを全部、お話ください」という“吐き出させ法”だ。以前は、大きな災害や事件を経験した人に対しては、「デブリーフィング」といってなるべく早く心のうちを語り尽くすことがその先のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を防ぐ、という説が主流であった。ところがその後、これにはPTSDの予防効果がないどころか、逆に状態を悪化させてしまう“副作用”があることがわかってきた。今では災害時の「心のケア」で最も大切なことは、「無理に心のケアをしようとしすぎない」になっている、と言っても過言ではない。しかし、この「方針の転換」はまだまだ知られておらず、相変わらず「デブリーフィング主体」のケアを行った人たちもいた。
では、何もしなければよいのだろうかというと、それも違う。無理に専門家ぶったアンケートや特殊なカウンセリングではなくて、あたりまえの支え合いはもちろん必要だ。「何かお話があれば、いつでも聞きますよ。何でも相談していいんですよ」とより積極的なケアを望む人には、「いつでもその用意がある」と示しておくことも大切だ。不眠や不安が強い人には、適切な医療が受けられるよう、専門機関の紹介なども欠かせない。
こういったサポートが行われぬまま、「さあ、絵を描いて心のケアを」「コンサートで心を癒してください」「みんなで話し合って心をスッキリさせましょう」といった我流のケアがいろいろな団体によって行われ続けた、という傾向も否めない。
もちろんこれだけの大災害では、「これぞ正解」といったケアがあるとも思えない。ただ、震災から1年たって、ある意味では長期的な「心のケア」はこれからが本当に必要な時期を迎える。適切なケアとは何か、もう一度、考えてみたい。