菊地容疑者の逃亡生活は、実に17年にも及んだ。偽名を使い、ヘルパーの資格を取って仕事をし、ときには職場の同僚との飲み会にも参加するなどしながら、一般男性と首都圏で暮らしていた菊地容疑者。ふたりの住まいであったトタン屋根の古い家を訪れたことがあるという人は、室内は外見からは想像できないほどきれいに改装されていた、と述べていた。「逃亡者」というイメージからはかなり離れた“地に足のついた暮らしぶり”だ。
それにしても、この間、彼女はどんな心理状態にあったのだろう。
一般的に「知られたくない」という秘密があり、まわりに対してそれを隠し続けなければならないとき、人は大きなストレスを感じることになる。診察室にはしばしば、「忘れたい過去」を隠すストレスに耐えられなくなり、うつ状態や被害妄想を抱くまでになった人がやって来る。「うーん、かなり重いうつ状態ですね。思い当たるようなストレスはないですか?」という質問に最初は「とくに…」と首をひねっていたのが、途中で「先生、やっぱりお話します。実は過去に夫以外の男性の子どもを妊娠して…」といった重大な秘密を打ち明け始める人も少なくない。「誰にも言えない」「でもいつか知られてしまうのではないか」「いや、もうすでに知られているかもしれない」といったいろいろな考えが膨らみ、ついには自分の心を押しつぶしてしまうのだ。
さらに「秘密が知られるのではないか」「私のウワサが出回っているのではないか」という不安は、ネット社会では被害妄想を超えて現実になりつつある。実際に診察室でも、若いころに他人には言えない仕事をしていたことがネットに書かれているのを発見してパニックに陥った、という人がやって来たことがあった。最初、私は「この人が言っていることは妄想だろう」と考えたのだが、その人がバッグからノートパソコンを取り出して見せてくれたネット掲示板には、たしかにそれと思われる書き込みがあった。その人はショックを受けるとともに、「いったい誰が書いたのだろう。自分の過去を知る人はほとんどいないのに」と疑心暗鬼に陥り、心あたりを思い浮かべては連絡を取ったりネットでその人の消息を追いかけたりしていた。
このように、たとえそれが犯罪がらみでなくても、「自分の秘密が知られるのではないか」と思い続けるのは、私たちの心にとってあまりに大きなストレスになる。菊地容疑者の場合は、一般の人の比ではない不安を抱きながらの生活であっただろう。手配ポスターで自分の顔を見つけたり、職場などで「オウム事件は」といった単語を聞いたりするたびに心臓が凍るような思いを味わったに違いない。
その中で、なぜ彼女はあそこまで“平常心”で逃げ続けることができたのだろう。すでに信仰は捨てた、と語っていた。取り調べでは「男性を愛するようになり、彼との生活を変えたくなかった」と出頭しなかった理由を説明していたようだが、「どんな不安に耐えても貫きたい」と思うほどの愛であったのだろうか。それとも逆に、「この男性を支えるのが私の使命」と自分に言い聞かせることで、先のない逃亡生活を続けるモチベーションにしていたのだろうか。「折れない心」といった言葉もはやっているが、何をよりどころに彼女が自分の心のタフさを保ち続けることができたのか、取り調べが進み供述がある程度、明らかになったところで再び考えてみたい。