ひとつは、iPS細胞の臨床応用に関して虚偽の報告を行った研究者の問題。連日、テレビなどは彼の過去からいまの状況までを、かなりの時間を割いて報道している。その量はノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥教授の話題よりずっと大きく、「これではせっかくの山中教授の偉業がかすんでしまう」「あんなつまらない男の報道はこれ以上、しないでほしい」といった声もあるようだ。
もうひとつは、問題ではなくて犯罪。この7月には大阪で、9月には三重でそれぞれ市のホームページなどに犯行予告が書き込まれ、“犯人”と見なされた4人が逮捕されたのだが、この人たちは無実であることがわかった。4人のパソコンは、いずれも遠隔操作ウイルスに感染しており、別の人物が当人になりすまして犯行予告などの書き込みを行っていたのだ。
その真犯人と見られる人物が、報道機関や弁護士に犯行声明のメールを送った。それに基づいて調べてみると、“なりすまし”による犯行予告、脅迫メールは全部で13件にも及ぶことがわかった。犯行声明では「警察・検察をはめてやりたかった」とその動機が明かされている。
この遠隔操作ウイルスを作成して他人になりすました人物が、かなり高度な専門的知識を身につけていたことはたしかだ。テレビで専門家が「数年間、専門的にプログラムの勉強をした人なら簡単にこういうウイルスを作成できる」と述べていたが、「数年間の専門的な勉強」は決して簡単ではない。
iPS細胞のウソを語った男性も、医学系の大学院を出て、実際にかなり長い研究歴がある。その間に発表した論文などにも疑義が抱かれているが、まったく何の実験や調査もしてこなかったわけではないだろう。少なくともいま研究はどこまで進んでいるかに関して、かなりの知識があったことは事実だと思われる。そうでなければ、共同研究者として論文に名を連ねた学者や新聞の科学担当記者をだませるようなウソをつけるわけはない。「誤報」といわれた第一報の記事を目にした私の知人の医学研究者も、「倫理的には問題のある治療だが、彼の語ることにはそれなりの説得力があり、実際にはここまで来ているのかと疑問を抱かなかった」と話していた。
では、なぜ彼らは、長い年月をかけて身につけた知識や技術を、間違った方向に“応用”してしまったのか。
おそらく彼らは、専門家としての道を歩み出したときには、未来の自分に対して夢や希望もおおいにあったのだろう。成功しているイメージ、称賛されている姿も想像したかもしれない。それが、長年、努力しても十分な成果につながらず、競争社会の中で次々、まわりの同業者に抜かれるような気持ちも味わい、「報われない」という思いがつのっていく。そして次第に、失望が社会や他者への恨みやねたみに変わっていったのではないだろうか。その結果、偽iPS細胞の男性は「自分はやり遂げた」と誤った確信を持つに至り、遠隔操作ウイルスの人物は警察を陥れてやろうと考え、それぞれ別のやり方で世間の注目を集めようとした。
努力したのに報われないのは、たしかにつらいだろう。しかし、たとえ十分に報われなくても、「好きなことをやっている」というやりがいや手ごたえでは、その自己顕示欲や称賛されたいという欲求を埋めることはできなかったのだろうか。このふたりはたしかに度を超えているが、「私だってもっとほめられていいのに」とひそかに恨みを抱く専門家たちはほかにもいるのではないだろうか、と考える。
実は、診察室でも「私だってがんばっているのに、こんなに認められないのはおかしい」と怒りを訴える人がときどきいる。たしかにその人たちは多額の報酬も手にしていなければ、ノーベル賞などの輝かしい賞ももらっていない。それでも、「好きなことをやっている」というやりがいと、社会に貢献できているというそれなりの手ごたえと、自分の生活を支えるだけの収入が得られれば、それで幸せとは考えられないだろうか。「報われない」と落ち込む前に、専門的な知識や技術を努力して身につけた自分に誇りを感じてほしい、と心から思う。