これまで健康保険、年金、パスポートや税務関係などの番号は、所管する行政機関がそれぞれ番号をつけていた。それがひとつの番号ですべて把握できるので、社会保障などの行政手続きで何種類もの書類を用意しなければならない、といった煩雑さがなくなり、迅速化も期待できる。また、所得や納税の状況も一目瞭然なので、生活保護の不正受給や脱税なども防止できるという。
しかし、この制度を懸念する声もある。ひとつは制度の導入や維持に莫大な費用がかかることだ。もちろん、これは関連業界にとっては特需ということになるのだが、数百億、いや数千億かそれ以上など、いまだに正確なところがわからないそのコストは、税金から支出されることになる。これまで莫大な予算で導入されたのに失敗に終わった、という制度がいくつもある。たとえば、パスポートのオンライン申請は、04年に導入されたが3年で133件しか使われず、「1通当たりの経費は約1600万円」という結果のみを残して06年に廃止された。賛否両論のもと02年に導入された「住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)」も、利用に必要な「住基カード」の普及率はわずか約5%にとどまっている。
こうした事態を防ぐためには、「マイナンバーは使える制度」と国民に思ってもらわなければならないが、そこにはジレンマがある。利便性を高めるためには、社会保障や税などの行政サービス以外、もっと言えば、民間のサービスでも“これ一枚”で使えるというものにしていかなければならないのだが、そうすると「個人情報の漏洩(ろうえい)」というリスクも格段に高まる。
実際、予定されているマイナンバー制度でも、国家の監視や個人情報の流出、盗用を懸念する声が上がっている。私の診察室に通っている患者さんの何人かも、早くもこの制度に不安を感じるという発言をしていた。「私、心の病で治療を受けていることを友人にも言っていないのです。回復して通院しなくてもよくなったら、その記憶もなるべく消したいと思っています。でも、マイナンバーが導入されたら、私が通院していたという事実は一生、つきまとうわけですよね? パソコンにくわしい人がその情報を見ちゃう、ということはないのですか?」
私は患者さんたちの不安を軽減するために、「その点はさんざん議論されているから、きっと万全のセキュリティーをかけると思うし、本人が情報を引き出さない限り、病名や通院歴を通知するなどということはないはずですよ」と答えているが、確証はまったくない。マイナンバーを早くから導入しているアメリカや韓国では、“なりすまし”やデータベースへの不正アクセス事件も多発しており、利用を制限する方向に向かっているとも聞いた。また、医学の論文には疾病の発症率やその長期経過について、スウェーデンでの大規模調査に基づいて行われた研究が多いのだが、これも国家が住民の健康情報を蓄積し、許可を得た研究者にアクセスを許可しているからなのだろう。
マイナンバー制度のように個人の重要な情報を政府が管理する場合、何より重要なのは国家と国民、また国民どうしの信頼関係だといえる。それがなければ、いくら「セキュリティーは万全、情報を流用することはありません」と説明されても、先の患者さんのように疑心暗鬼になる人が出るのはあたりまえのことだ。この制度が実際に運用される頃には、私たちの社会ももう少しお互いを信頼し合い、大切な情報も政府に託せるようになっていることを願うしかない。