ところがそれからわずか数日後には、論文の図版に不自然な点が発見され、その後、次から次へと問題が発覚。ついにSTAP細胞の存在じたいにまで、疑問の声が上がるようになってしまった。この原稿の執筆時点では、まだ女性科学者らが所属する理化学研究所は正式な内部調査結果を発表していないが、科学雑誌『Nature』に載った論文は取り下げの方向になることは確実と思われる。
それにしても、と多くの人は思うだろう。いったいなぜ、そんなすぐに問題が見つかるような不完全な論文を、科学者らはあせって世界的に権威のある雑誌に送ってしまったのか。
ここには、科学研究の世界に存在する「高インパクトファクター至上主義」が大きく関係している。
インパクトファクターとは、「1年間でその雑誌に掲載されている論文が他の論文にどれくらい頻繁に引用されているかを示した尺度」を指す。もちろん、引用される回数が多ければ多いほど、その雑誌に載る論文は他の研究者たちへの影響力が大きい、ということになるので、その値はその学術雑誌の評価指標にもなる。
しかし、現実にはインパクトファクターは、雑誌の評価のためではなくて、研究者の評価のために使われる数値になりつつある。つまり、値の高い雑誌に自分の論文が載ることで、「私は○点のインパクトファクターをゲットした」と自称する人が増えてきたのだ。それどころか、大学などの研究機関の公募書類にも「自分のインパクトファクターの持ち点」を記入する欄がある。毎年、これを計算している機関が「雑誌の評価であり、個人の評価のための数値ではない」と強調しても、誰もそう思っていないのだ。
そして、今回問題となった論文が載った『Nature』は、科学の世界では圧倒的なインパクトファクターを持ち続けている雑誌である。『Nature』には総合誌のほかに各分野別のものもあるが、そのいずれもが高い値であることはそのウェブサイトにも大きく誇らしげに記されている。
多くの科学者にとって、この雑誌に論文が掲載されることは夢である。しかし、ただ夢であるだけではなくて、専任のポストの公募書類に自分のインパクトファクターを記入するときのために、どうしても『Nature』やそれに続く雑誌に論文を載せる必要があるのである。
この「高インパクトファクター至上主義」が日本の科学の質を低下させている、と語るのが脳科学者の宮川剛・藤田保健衛生大学教授だ。そのインタビューから引用しよう。
「Science、Natureを始めとする高インパクトファクター雑誌に論文を出さないと研究費も取れないし、人事でもダメですからね。みんなとにかくScience、Natureに出したいのです。逆に、出しさえすればすべてが薔薇色です」(「Science Talks」のサイトより)
その結果、「データを発表しないでいっぱい溜めて、それでドカンと出すことを目指す」という人が増え、その都度、身近な学術雑誌で研究結果を公表していこう、という動きにストップがかかっているというのが宮川教授の見解だ。
今回の問題の論文の筆頭著者である若手科学者や共同研究者の多くが所属する理化学研究所も、この「高インパクトファクター至上主義」という病にとりつかれてしまったのではないか。今後の調査結果を待ちたいと思う。