ただ、加熱するアイドルグループ人気とそれを支えるライブイベントというシステムを見ると、この手の事件、トラブルはいつ起きても不思議ではなかったとも言える。
私が教えている学生たちの中に、例年、必ずと言ってよいほど卒論で「アイドル人気の研究」を行う者がいる。その論文で人気の理由としてこれまた必ずあげられるのは、「ファンとアイドルの距離の近さ」だ。昔のように「アイドルは雲の上の存在」であった時代とは違い、いまは「同じクラスにいるような親しみやすさ」「双方向のコミュニケーション」などをセールスポイントにしているアイドルが多いという。しかも、単にそういうイメージを演出しているだけではなく、実際にツイッターで相互フォロー関係となり、コメントをすると「ありがとう!」などとレスポンスしてくれるアイドルもいるそうだ。
学生にはいつも、「でも本当は友だちでも親戚でもないわけだから、不特定多数と近しい関係にあるかのように見せるのは本人にとってもストレスになるし、ファンの思わぬ錯覚を招くことになるのではないか」と、その危険性を指摘することにしている。しかし、「彼女たちもそれを楽しんでいる」「ファンもまさか本当の友だちや恋人になれるとは思っていない」などと驚くほどリスクには無頓着な学生が多い。
中には、男女を問わず、「私は彼女が売れる前からずっと応援していて、ブログなども欠かさずチェックしてきたので、どんなに努力を積み重ねて今に至っているか、友だち以上に知っています」と、すでに“錯覚”の領域に入っている学生さえいる。だからこそ、そういったアイドルに恋人がいたとか、清純なイメージとは裏腹に大騒ぎをしていたといった報道が出ると、「裏切られた」「許せない」といった批判の声も大きくなるのだろう。
もちろん、今回の加害者がAKB48のファンであったかどうかはわからない。ただ、自分の人生が思ったように展開していないと思ったとき、「それに比べてあいつらはうまくやっている」という比較の対象として、“すぐそこにいるようなアイドル”が選ばれやすかったことはたしかだろう。「あんなに“ふつう”で気軽に握手なんかもできる存在なのに、テレビに出たりミリオンヒットを飛ばしたりするなんて」と思って怒りの矛先になった可能性もある。
「あなたが応援してくれているから私、がんばれる!」とファンの目を見つめてけなげにささやくアイドルの少女たちも、本心ではいろいろ複雑な気持ちを抱いているはずだ。疲れた、もう休みたい、知らない人と握手なんかしたくない、と思うのもあたりまえだ。しかし、「そんなことを言っていては生き残れない」というプロ意識が、彼女たちのさらなる笑顔や涙を引き出し、そこにファンたちがますます共感を寄せる。
「自分だけが彼女の理解者」といった勝手な思い込みが空想から妄想、そして「手に入らないのはおかしい」といった怒りに変わっていく過程を診察室でいくつも目にしてきた私としては、距離感のなさや親しみやすさだけを過剰に強調するいまのアイドル商法を、そろそろ見直す時期に来たのではないかと考えている。歌やダンスなどあくまでステージの上でファンを魅了し、それ以外ではそれぞれが自分の人生を生きている、と公私の線をしっかり引いて見せる。そんなスターはいまどき流行らない、と言われるかもしれないが、これ以上、アクシデントが起きないようにするには、それしかないのではないだろうか。