7月4日の閣議で了承された中央省庁の人事でも、経済産業省と法務省でそれぞれ重要ポストである局長に女性の就任が決まった。すでに村木厚子事務次官などの女性幹部がいる厚生労働省のほか、外務省でもさらに女性局長が誕生するなど、安倍内閣の方針は着実に形になりつつある。
しかしその一方、東京都議会でのセクハラ野次など、女性をめぐる社会の状況は相変わらずだ。「若さ」や「外見」だけで評価され、女性といえば「恋愛するもの」「結婚して子どもを産むもの」という先入観で見られている。私もときどきネットで「ブスのくせに」「ババアは黙ってろ」と中傷されているが、なぜ発言の内容とは関係のないことで批判されるのか、と不思議に思う。“若くて美人の女性”だったら何を言っても「その通り」と肯定されるのであろうか。
ただ、ここで女性蔑視の言葉をはっきり口にする男性だけを、「意識が低い」と責めるのは間違いだと思う。
テレビの歌番組はいま、女性アイドルグループで埋め尽くされている。どのグループも中心は10代からせいぜい20代前半、高校生の制服を思わせるようなそろいのミニスカートで若さを全面的にアピールする。その彼女たちが、「気になる彼」や「はじめてのボーイフレンド」のことで頭がいっぱい、といった内容の歌を笑顔で歌い、踊る。友情や将来の夢などについて歌ったものもあるにはあるが、ほとんどは恋愛ソングだ。また彼女たちの多くは、ファンの集いや握手会などを頻繁に行ったりゲームに登場したりして、彼女たちと疑似恋愛をしている気分になっている男性ファンも少なくないという。
それを見ているととくに若い世代は男も女も、無自覚のうちに「やっぱり女性は若いほうがいい」「女性にとっていちばん大切なのは恋愛」と思い込むのではないだろうか。そういったアイドルが20代半ばになりグループを“卒業”して、厳しい役者の道を選んだり引退して別の仕事につくのを見ながら、「女性の価値は若さなんだ」と思う人もいるだろう。
もちろん、エンターテインメントの世界は流行り廃りがあるものであるし、昨今のアイドルブームじたいを良いとか悪いとか評価することはできない。しかし、アイドルたちにより「女性は若いほうがよい」「女性は男性にとって“やさしい恋人”」という価値観を刷り込まれた人たちが社会に出て、いきなり「女性も男性も区別してはいけない」「女性も仕事の内容で評価するべき」と言われても、それは無理な話なのではないか。本当の意味で女性差別をなくし、女性を活用したいと思うなら、社会全体で「若くて男性に笑顔を振りまくだけが女性ではない」という価値観を積極的に醸成していくべきだ。
2013年、東京で開かれた日・ASEAN特別首脳会議に安倍首相はAKB48を招き、夕食会でそのパフォーマンスを披露させた。「日本でいちばん人気のあるアーティスト」をコンテンツとして世界に売り込もうというビジネス面での意図もおおいにあったのだろうが、“国家”としてこういった幼さ、従順さをアピールする女性グループを公認し、バックアップすることにやや違和感を覚える。せめて成熟、自立を感じさせる女性アーティストとセットでのプレゼンテーションとしてほしかったが、もう一グループはEXILEだった。
「売れているんだからよいだろう」。そのひとことですべてが許され、それが「日本における女性」のイメージを決定してしまうこともある。男性のみならず、女性までもが「ああいう風に男性に対してはいつも笑顔でいなければ」と思うことさえあるかもしれない。一方で女性アイドルを全面的に肯定し、一方では「シビアな職場で女性活用を」とアピールする。そこに矛盾があることを、いまの内閣は知っているのだろうか。