もちろん映画の撮影現場でではなく、主に「集会」と呼ばれる場でだ。テーマは、「戦争反対」や「反原発」。
今年の6月12日には、「戦争をさせない1000人委員会」の集会が日比谷野外音楽堂で開催され、呼びかけ人のひとりとして私は、文太さんや大江健三郎さんとともにスピーチをすることになった。ちょうど私の次が文太さん。控え室ではもたれかかるように椅子に座り、いま考えるとその頃から体調はあまり良くなかったのだろう。しかし、出番がやって来て檀上に上がると、その表情がキリリと引き締まった。満員の会場を見わたしてから、ゆっくりと話し出す。
「こういうところで、しゃべる柄じゃあないけど、頼まれたんで。『戦争反対』に反対するいわれはないので出てきました」。
そして、父親とふたりのおじが出征し、父のすぐ下の弟は戦死、父は帰還したものの「生涯を棒に振ったというようなことで終わった」という体験談を地を這うような迫力のある声で語ったのだ。会場はシーンと静まり返っていたが、最後の「戦争は、よくないですね。みなさんいっしょに闘いましょう」という呼びかけをきっかけに万雷の拍手がわき起こった。
その後、私は「原発ゼロ・自然エネルギー推進会議」の発起人として、同じく発起人をつとめる文太さんにインタビューする機会を得た。そこでは日比谷野音とはまた違う穏やかな表情で、この5年は山梨県で無農薬農業に取り組んでいること、そこでの生活は便利とは言えないが、自然を感じながらの生活には何の不自由もないことなどを語り、「どうしてもっと電気が必要、もっと経済を成長させようなんて言うのかね」と成長を至上命題とする現代社会に疑問を投げかけた。そして、「原発なんてものはいらないよ。原子力の平和利用だなんて言われて日本も受け入れたけどね、もう危険だと気づいたんだから、やめるのがあたりまえじゃないの?」と言葉に力を込めたのだ。
私は、かねてから文太さんに聞いてみたかったことを尋ねた。「いまおっしゃったことは日本で生活し、あの原発事故を経験した人なら誰もが感じることではないかと思うのですが、俳優や歌手などでそういった発言をなさる人は多くない。どうして自分の思いを語らないのですか」。
すると文太さんはニヤリと笑い、こんなことを言った。「それによって干されるかもしれない。どんな職業でもそれはあるんじゃないかな」。
以前、記者会見で「どうして芸能人が原発問題を語るのか」という記者からの質問に対して、「憲法には言論の自由が定められている。それに従って語るだけ」と切り返した文太さん。自分は暴力シーンが出てくる映画にも出演してきたが、あれは「みなさんを楽しませたい」という思いだけでやってきた、とも言っていた。文太さんにとっては、からだを張ってまで娯楽を提供し、見て楽しんだ人たちがよい社会を作ってくれるはず、と信じていたのに、いまこういう状況になっているのが残念でならなかったのだろう。
破天荒な映画を見て心の底から楽しむためには、リアルな社会の側が平和で安全でなくてはならない。人間として、そして何より実は映画人として、社会のことを真剣に考え、発言や行動を続けていた菅原文太さんの遺したものを、私たちは重く受けとめたい。