これに対してまず怒りの声を上げたのが、同じ経験をした母親たちだった。ネットには「私も保育園に断られ仕事を辞めた」「誰にも言えなかったけど同じことを思った」といった書き込みがあふれた。次いで、「私は運良く保育園に入れられたけれど、ひとごとではない」「まだ結婚していないが将来は子どもも持ちたいし仕事も続けたい」といった当事者の周辺の人たちからの書き込みが増えてきた。
実は私には子どもがいない。だから、直接、保育園の待機児童問題の影響を受けたり悩んだりしたことはない。しかし、診察室ではこの問題に直面して「仕事に戻りたいのに戻れない」と苦しむ女性や、うつ病などで育児が負担となっても入園許可が下りず疲弊した女性に会う機会がある。待機児童問題にまったく無縁というわけではないのだ。
さらに今回の反響の広がりの特徴は、ついにこの問題には直接的にも間接的にも関係ない人までが声を上げるようになったことだ。「独身男性ですが問題の深刻さはわかります」「子育ては終わったシニアですがこれは社会全体で考えるべき」とネットで語る人、「国会前に集まりましょう」とプラカードを持って集合した女性たちに混じってスタンディングする人もいた。
先ほど述べたように私には子どもがいないので、この待機児童問題についてネットで発言したところ、「関係ないのに口を出すな」「子育て経験もないのに目立とうとしているだけ」といった批判のコメントが多く寄せられた。その人たちには「診察室でそういう女性に接することがあるので」と返答しながらも、心の中では「関係なくても発言していいじゃない」と思っていた。もちろん、いま子どもを預けられずに困っている母親たちの声がいちばん重要であることは言うまでもない。「この4月から仕事に戻りたいのに子どもが入園できなければ退職しかない」といった切実な訴えには説得力があり、一日も早く対処しなければならない。
しかし、たとえ仕事をしておらず子どもを保育園に預ける必要がない母親でも、子育てに携わる機会のない独身の男性や子どものいない女性でも、当事者の苦労を想像することはできる。また、子育て支援や女性の就労支援はいま差し迫った社会の課題であることも十分、理解できる。だとしたら、「こんな社会、おかしいでしょ? どうしてもっと保育園を作ったり保育士の待遇を良くしてその職につく人を増やしたりできないの?」と意見を言ったり行動したりするのは、ごく自然のことと言えるのではないか。
直接、自分がかかわっていないことでも、「おかしい」と思ったら声を上げる。
よく考えれば、そんなあたりまえのこともこれまではどこかしづらい雰囲気があったのだ。被害者、当事者にしか発言の権利がない、というのはあまりにも時代遅れ。この保育園の問題をきっかけに、誰もがどんどんいろいろな問題に口を出し、「これは違う」「そんなのひどいよ」と自由に語り合う雰囲気が広がっていけばよいと願っている。