意識調査の結果にはバラつきがあり、「選挙への十代の関心は意外に高い」というものから「上の世代よりかなり低い」というものまでがある。ただ、いま教えている大学の授業で18歳、19歳の学生らに「選挙に関心ありますか」「今回の選挙の注目ポイントは」などと質問してみた印象では、残念ながら関心はそれほど高くないと言わざるをえない。
では、この若者たちは日ごろから社会にあまり目を向けることができない、いわゆる“反知性主義”者なのだろうか。それは違う。たとえば、この学生たちに「がんを宣告されたいか」「あなたの恋人が美容整形手術を受けたいと言ったらどうするか」といった、直接自分の生活や人生に関係したテーマでディスカッションをさせると、驚くほど深く考え、真剣に議論をする。決して無関心、無教養なわけではないのだ。
では、なぜ政治や選挙には関心が薄いのか。その理由のひとつは、「政治は危険」という先入観が強くあることだ。「政治」と口にしただけで、学生の顔が硬直することがある。「どうしたの」と言うと、「そういうのはちょっと」と口ごもる。「政治にかかわったとなると就活にさしさわる」「まわりから浮いてしまう」などと理由を説明してくれる人もいる。その先入観はどこで植えつけられたのかは知らないが、「政治」や「選挙」は「過激、偏り、危険」というネガティブなイメージと強くひもづけられており、条件反射的に忌避する若者もいるのだ。このあたりの“政治アレルギー”を消すのは容易ではない。
それからもうひとつ、「何も教えられていない」というのも理由だ。たとえば、「がんの宣告」は単なる倫理的問題ではなく、がん医療の制度とも深く関係した政治的問題のひとつだ。また、就職活動はそれじたい、雇用や景気、つまり労働政策や経済政策と直接、結びついている。そういったことを学生は知らされておらず、「政治」とは永田町の国会で自分とは縁遠い政治家だけによって語られている問題なのだ、という思い込みがある。
この点に関しては、本当は中学、高校時代などを通して、繰り返し子どもに教える必要があるだろう。しかし、教員の中に“政治アレルギー”がある場合も多く、最近の「政治を学校で語ると偏りが生じてしまう」というムードもあり、それが授業やホームルームで話題として取り上げられることはほとんどない。
学生の中には、自分が関心を持つ身近な生活や生き方の問題が実は「政治」と直結していることがわかると、目がひらかれ、そこから急速にさまざまな社会問題を学び、語り出す人もいる。現にいまSEALDsで活躍する学生たちの多くも、「2年前までは新聞も読んだことがなかった」「去年デモしている学生を見て“なにしてるの”と気になるまで、一度も政治に興味を持ったことはない」などとスピーチで明かしている。前から政治や選挙に強い関心があった、などという学生はほとんどいないのだ。
つまり、多くの若者はまじめに自分の生活やまわりの人間関係について考え、対処しているのだが、それと「政治」「選挙」をつなぐ通路が開かれていないだけなのではないだろうか。かつてのように遊びに忙しくて、「政治? ダサいじゃない」などと軽んじる学生はほとんどいない。
政治や選挙まであと一歩。そういう学生の前にあるはずのドアを、誰がどうやって開くか。そして今回の参院選までに間に合うか。それが問題だ。