しかし、こう書いてはみたものの、いまひとつ高揚感がない。バラク・オバマ大統領が誕生した2009年とは大違いだ。あのときははじめての黒人大統領が誕生か、ということでアメリカ国内だけではなく世界がわいていた。しかもオバマ氏は40代、ふんぞり返ったいわゆる権威主義的な印象がなく、それまでアメリカ覇権主義のネオコンに牛耳られていたアメリカ、そして世界を変えてくれるのでは、と期待が高まった。
このように昔話をしても仕方ないことだが、今回の大統領選挙はなんだろう。民主党はヒラリー・クリントン一択かと思われていたが、社会民主主義的な思想の持ち主であるバーニー・サンダース候補が登場し、格差解消などを訴える若者などの支持を集めたあたりは、それなりに盛り上がっていた。一方、共和党の候補には保守というより極右に近い人たちがそろい、「誰が党代表候補になってもクリントン氏には勝てない」という雰囲気の中、もっとも極端なことを言うドナルド・トランプ氏が台頭してきた。いくつかの州の予備選で勝利し、「そんなこともあるんだねえ」と驚いているうちに、気がついてみると結局、残ったのはトランプ氏であったのだ。民主党はサンダース氏をなんとか蹴落とし、クリントン氏が候補になったのはよいが、サンダース氏との比較でどうしてもタカ派的なところが目立つ結果となった。
「それでもクリントン氏だろう」という声は選挙直前のいまになっても高いが、「私用メール問題」の再捜査をFBIが始めたことにより、ここに来て「潮目が変わった」とトランプ氏有利を伝えるメディアもある。
驚くのは、トランプ氏には「オルタナ右翼」などと称される極右の勢力が応援団としてついているのだが、彼らは「何としてもトランプ氏を勝たせたい」として不正選挙がないように私設監視団を作って投票所を見張ったり、さらには黒人がクリントン氏に投票するのを防ぐために居住区に出向いて酒やマリファナを配り、足止めしたりする計画さえあるそうだ。なりふりかまわない総力戦だ。
クリントン氏には、このような違法ギリギリのことをしても彼女を当選させたい、と動いてくれる支持者がいるのだろうか。もちろん、身近な応援団はみな全力で動いているとは思うが、先に述べた「オルタナ右翼」たちはおそらく直接、トランプ氏に会ったこともなければ、彼の当選ですぐにメリットがあるわけでもないのだろう。ただただ、自分たちが日ごろ唱える白人中心主義や移民・有色人種に対する排外主義をトランプ氏なら理解してくれる、実現してくれる、と考えての行動だ。
同様のことは日本でも見られる。昨年こそ安全保障関連法案に反対する市民が10万人も国会前に集まったが、それは特別なことであり、ヘイトデモなどを毎週のように行うのは差別主義者の団体のほうであるし、差別解消を訴える国会議員や弁護士への誹謗中傷をネットを中心に執拗(しつよう)に続けるのは、「ネトウヨ」と称される排外主義者たちのほうなのだ。
この執念はいったい何なのか。ある人は、「リベラル派や協調主義を訴える人たちの多くは仕事が忙しいのでは」と説明する。もちろんそれもあろうが、排外主義者も無職や学生が中心ではなく、「40代、大都市圏在住の正社員」が多いという調査もある。これは私見だが、「みんな平等に仲良く」というのは大声で唱えるというよりゆるやかな生活や行動の基盤になるようなものだが、「○○人は出て行け」といった具体的な主張は強烈なアイデンティティになるのだろう。だから彼らはいったんそれを身につけると手放すことができなくなり、まさに嗜癖(アディクション)のようにその活動をし続けるしかなくなるのだ。
それでも、アメリカには自由や平等を重んじ、「排外主義者には国をわたさない」という良心がある。私はそう信じているが結果はどうなるのか。固唾(かたず)をのんで見守るしかない。