ひとつは、歌手のASKA容疑者の再逮捕だ。「盗撮されている」と自ら警察に訴え出たのだが、尿検査により覚醒剤反応が陽性だったのだ。
この件に関しては、ASKA容疑者自身が覚醒剤の使用や保持を否定しており、さらに逮捕される前からマスコミが自宅に詰めかけるなど情報管理や報道の姿勢にも問題があったため、また全容が明らかになってからくわしく書きたいと思う。ただ、ここで強調しておきたいのは、覚醒剤依存症は身体と精神両面を侵す病であることだ。まずは前回、逮捕されて執行猶予の身であったASKA容疑者はきちんとした治療を受けていたか、ということが気になる。また薬物依存症は治療を受けるだけではなく、自助グループのミーティングなどに参加し続けないと回復は困難なのだが、ASKA容疑者はそれよりも音楽活動や著作の執筆などを優先させてはいなかったか。
また警察に自ら訴えたことからもわかるように、どうもASKA容疑者は覚醒剤の後遺症と思われる幻覚や妄想にも苦しんでいたようだ。この依存症はこういった重い後遺症を起こすほどの脳の構造を変えてしまい、やや大げさに言うと一生、脳は覚醒剤を求め続けることになる。その意味でも定期的な受診、治療は欠かせない。決して「もうやらない」といった気持ちの上での決心だけではやめることができないのだ。それを考えると、逮捕や刑罰だけでは決して問題は解決しないと言えるだろう。
そして、もうひとつは12月2日に衆議院内閣委員会で可決された「統合型リゾート施設(IR)整備推進法案」、つまりカジノを合法化する法案のことだ。「それがなぜ依存症と関連するのか」と思う人もいるかもしれないが、最後まで慎重論の声を上げていた公明党が懸念していたのも、カジノが日本にできることが「ギャンブル依存症」の増加につながるのではないか、という点だ。結局、法案には依存症対策、日本人の利用の制限などについて法施行後1年以内に定めるようにという付帯決議つきでの可決となったが、実際にはどのようなものになるのだろう。
ギャンブル依存症は覚醒剤依存症に比べると身体より精神の問題の比重が大きいが、それでも脳のバランスが壊れ、ギャンブルでしか活性化しない構造になってしまうという研究結果もある。やはり薬物同様、単に「強い意志があればやめられる」といった問題ではないのだ。
私も実際に診察室で、ギャンブル依存症の患者さんに接したことがある。いずれも家族や職場の上司に頼まれて診察することになったのだが、ほとんどの人は「やめようと思えばすぐにやめられる」などと病気であることを否定し、治療に応じようとはしなかった。また、ギャンブル依存症専門の治療者や彼らのための回復者施設も絶対的に足りない。「気持ちひとつでやめられるはず」という精神論も覚醒剤以上に根強いが、周囲に止められれば止められるほどストレスでさらにギャンブルにのめり込む、という人も少なくない。
もちろん、ギャンブル依存症治療の専門家を増やすことなども大切だが、それ以上に「新たな依存症を出さない」という工夫も必要だ。それを考えると、これまでせっかく国内にカジノがなかったのにこれから新たに作るのは、依存症が生まれる機会を増やすだけではないか、という懸念が生じる。
覚醒剤、ギャンブルとも依存症にいったん陥ると、本人もまわりも人生や生活はめちゃめちゃになり、そこからの回復に一生を費やさなければならなくなる。今回、カジノ推進派はこれで観光振興、地方創生が見込めるとしているが、はたしてそうなのだろうか。経済的、社会的に抑圧された生活の中でスリルと一発逆転を目指す人たちがそこに押し寄せ、破滅に追い込まれないよう願いたい。