また、2016年12月には首都カイロのコプト正教会でも爆弾が爆発し、26人が死亡。このほか15年2月には、21人のコプト正教徒がリビアの海岸で殺害される様子を撮影した動画が「イスラム国」関連のウェブサイトで公開され、全世界に衝撃を与えた。「イスラム国」はキリスト教であるコプト正教会を「十字軍」と呼び、「エジプトやあらゆる場所の異端者や背教者」に対する攻撃を継続する、と宣言している。
日本ではほとんど知られていないコプト正教会だが、エジプトでは総人口の1割程度を占めると言われている。しかし近年はイスラム教徒との緊張が高まり、差別や嫌がらせを受けたり、誘拐などの犯罪に巻き込まれたりすることが増えるなどして、信徒の数は減少している。海外に移る人も少なくなく、アメリカには45万人ものコプト正教徒が居住しているという。
ただ、エジプトのアブデル・ファタハ大統領は「エジプトのキリスト教徒は『知恵と愛国心』を持って一致団結している」と語るなど、公式には彼らを評価している。たしかにコプト正教会は、この4月のテロの後も「わが国の壁を破壊し、一致・団結・共存という偉大な遺産からなるエジプト国民という布を切り裂こうとする憎悪の攻撃から、エジプトと全国民を遠ざけてくださるよう祈ります」(クリスチャントゥデイ4月10日付)と、テロリストを非難するだけではなく、「『知恵と愛国心』を持って一致団結」しようと促す声明を発表した。
日本にはコプト正教会はひとつしかなく、その教義などもほとんど知られていない。ただ、宗教学者でエッセイの名手でもある山形孝夫氏は、かつてこのコプト正教会の修道院に通って滞在しながら研究を行い、それを『砂漠の修道院』(1987年、新潮社)など何冊かの書籍にまとめている。
それによると、コプト修道院は死の世界を意味するナイル川西岸の砂漠にあり、修道士はほとんど一生そこを出ることなく、祈りと作業の日々を送るのだ。さらに修道院を出て砂漠の涸れ谷の洞窟などにこもり、修道院から届けられるわずかな食物を口にする以外は孤独のうちにひたすら祈り続ける修道士もいるという。そして、修道院や洞窟で一生を終えた修道士は、砂漠に葬られ忘れられていく。修道士にはカイロ大学などエジプトの一流大学を出たり名門の家系出身だったりのエリートも少なくないが、みな俗世を捨ててただ神にのみ仕える生活を続けられることに喜びを感じており、遠い東の国から研究のために通ってくる山形氏にもたいへん親切に接してくれたそうだ。
はじめてコプト修道院について知ったときは「地上にこんな場所があるのか」と衝撃を受けたが、この純朴な信仰はコプト正教会全体にも通じるもののようで、キリスト教の教派の中でもっとも初期のスタイルが保ち続けられているとも言われている。だからこそ、数としてはそれほど多くないコプト正教徒だが、「イスラム国」からは「キリスト教の象徴」に見えるのかもしれない。
ここで、このテロ事件をあえて一歩離れたところから考えてみたい。もちろんテロは許しがたいことであり、犠牲者の家族や信徒仲間の悲しみを思うと胸が痛むが、この連続テロの構造や背景を考えるのは、私たち日本人にとって別の意味の大切さを持っているからだ。
日本国内にはいま、あまりに多くの問題が山積みで、私たちはともすれば遠くエジプトで起きている宗教対立やそれに基づくテロにまで、なかなか目を向けることができない。これは、シリアでの化学兵器使用問題やそれに対するアメリカの空爆でも同じだ。「背景は複雑だ」ですませてしまう傾向がある中、それでも私たちはなんとか、「遠い世界で起きている、すぐには理解できない背景や構造を持ったできごと」について思いを巡らせ、理解してみようとする姿勢を手放すべきではない。
もちろん、今回のコプト正教会への連続テロは私たちの練習問題などではなく、まぎれもないリアルであり許しがたい行為なのだが、それでも私はあえて、「許せない」「複雑だ」ですませないで「何が起きたのか」と考えてみてほしい、と言いたい。それはエジプトや犠牲者のためであると同時に、私たち日本人がいま直面している「深刻な知的劣化、想像力の劣化」を食い止めるためでもある。