財務省の福田淳一事務次官(当時)による、テレビ局の女性記者へのセクハラ発言問題は、思わぬ方向に進んでいる。ここで「思わぬ」と記したのは、この問題が明るみに出たとき、私自身は「これはどう考えても許されない問題。事務次官の懲戒免職、場合によっては財務大臣の責任問題にも発展するだろう」と考えたからだ。なぜなら、国家公務員の人事管理に携わる人事院の規則には、セクハラ防止や対策、処分などについて細かく定めたものがあり、その中で各官庁の長、つまり中央官庁の場合は大臣の責務についても述べられているのである。ところが、事務次官には懲戒などの処分は下されず、本人からの辞任の申し出が承認される形での退職となった。その後、財務省への信頼を落としたなどの理由で減給処分が下され、退職金から差し引かれることにはなったようだが、一定の金額は支払われるのだろう。
さらに、麻生太郎財務大臣は、問題が発覚した当初こそ「事実であればアウト」と語っていたが、その後、被害を訴える女性が出てこないことには確認できないとして、事務次官の辞任を承認したあとでさえ、「福田の人権はないのか」「はめられたとの意見もある」と一貫してセクハラを認めない、あるいは問題にしようとしない姿勢を見せている。
また、事務次官が辞任したあとに代行を務める矢野康治官房長は、被害女性が財務省にではなく「弁護士に名乗り出て名前を伏せておっしゃるということが、そんなに苦痛なことなのか」と発言したが、ここで言う弁護士とは財務省サイドが指名した顧問弁護士のことである。財務省はあくまで、顧問弁護士によるヒアリングを要求しているようだ。
私は勤務する大学で人権・ハラスメント対策センターの委員として活動しているが、セクハラなどのハラスメントでは、まず申立人の安全や保護が最優先される。当然、申し立ての内容が事実かどうかの確認は重要なのだが、その場合も加害者とされる人に申立人の個人情報を知らせるようなことは絶対にしない。ヒアリングは中立的立場の対策センターが被害側、加害側それぞれに対して行うものであって、加害者が弁護士を雇うなどして「申立人の話を聴かせてほしい」と言ってくることなどありえないし、言ってきたところでもちろん応じられない。
申立人はハラスメントを受けた被害者でありながら、「こちらにも落ち度があったのでは」と自分を責めていることが多い。また、申し立てにより相手から恨まれたり、さまざまな被害を受けたことが公になって悪い評判が立ったりすることをおそれ、周囲からの推測以上に神経が過敏になっているのだ。被害によって傷ついたことが、この過敏さの誘因になっているのだろう。それもあって、ハラスメント対策センターではあらゆる方向から、「とにかく被害者保護を徹底させる」というのが原則になっているのだ。
今回の場合、財務省は先に事務次官へのヒアリングを行い、「セクハラはしていない」「記事を載せた雑誌の出版社を名誉棄損で提訴する」という言い分を公表した上で、女性記者に対して名乗り出るように求めた。しかも、そのヒアリングは事務次官の部下に当たる矢野官房長が行ったという。官庁のようないわゆるピラミッド型の組織で、身内、しかも職位が下の人間が調査に当たるというのも不適切だ。
もし、省内では十分なヒアリングなどができないとしたら、そこですべきなのは「セクハラがあったとしたら由々しき事態なので、完全な第三者による調査委員会を立ち上げる」といったことであって、「やってません」という当事者の言い分をそのまま公表するなどということは、ハラスメント対応としておよそ考えられない。
このような動きを見ると、官庁ではこれまでもハラスメント事案が発生したときに、こういった非常識な対応をしてきたのか、と疑いたくなる。少なくとも管理職に就く人たちはハラスメントに関する研修なども受けているはずであるし、省内や人事院には苦情や相談の窓口が設けられているはずだが、もしかするとそれはまったく機能していなかったのではないだろうか。それとも、事務次官という最高幹部が当事者だったので、特例として通常とは異なる対応をしたのだろうか。もちろん、後者だったとしたら問題はさらに深刻だ。
繰り返しになるが、私も大学という組織のハラスメント対策委員として、これまで啓発のために学生の前で講演をしたり、ときには具体的な事案に対応したりしてきた。そして、「ハラスメントはいけない」ということや、「万が一、ハラスメントが発生した場合は、あくまで被害者保護を念頭に置きながら、きちんと事実を確認して処分を含む適正な対応を行うのが再発防止につながる」ということが、学内にも社会にもかなり浸透してきたと思っていたところだった。ところが、このたびのわが国の中枢部ともいえる財務省でのあまりにもお粗末な対応を見せられ、個人的にも大きな衝撃を受けた。
政治家も官僚も、ハラスメントに関して一から学びなおしてほしい。