世界が注目したアメリカのドナルド・トランプ大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の会談、いわゆる米朝首脳会談がシンガポールで開催されてから間もなく1カ月が経とうとしている。昨年(2017年)の今ごろは北朝鮮をめぐる国際情勢は緊迫の度合いを増すばかりで、なんらかの戦闘状態に移行しても不思議ではないほどだった。それを考えると、ふたりの首脳が笑顔で握手をし、なごやかに会話をするというだけでも、とても現実とは思えない光景だったと言ってもよいだろう。もちろん、これは良い意味で「現実とは思えない」ということだ。
この米朝首脳会談の内容については、さまざまな見解がある。「北朝鮮の裏切りの歴史」を考えれば油断は禁物だと警鐘を鳴らす人もいれば、「トランプ氏が自身と共和党の人気取りのために行ったパフォーマンス」と見てまったく評価しない人もいる。
私自身の見方は、それらとは少し違う。「精神科医だからトランプ氏や金正恩氏の心理から考えているのか」と言われそうだが、そうではない。
このふたりの首脳は、とくにトランプ氏に顕著だったが、これまでの外交の歴史や手法などはほぼ無視し、完全に自分の感覚に基づいて、思いつきのように会談の計画を発表し、一時は中止にすると宣言したかと思うとすぐにまた開催すると言ったりと、まわりを大きく振り回しながら実現にこぎつけた。このプロセスを見ているだけで、ふたりの首脳の行動や発言を、政治や外交の専門知識を動員して語っても意味がないのではないかという気がしてくる。そして、それはまた、従来の心理学や精神分析学でもなかなか説明がむずかしいと思うのだ。
個人的にもっとも印象的だったのは、トランプ大統領が金正恩氏に持参のiPadで見せ、それごと手渡したという動画だ。その動画は会談のあと、シンガポールでトランプ氏が単独会見を開いた際に会場内のスクリーンで流され、翌日からホワイトハウスのフェイスブックで公開された。ネットに接続できさえすれば、世界中の誰もが見ることができる。
動画は4分ほどの短いもので、映画の予告編風の構成となっている。予告編“風”というより、冒頭に「デスティニー・ピクチャーズ・プロダクション」とクレジットが出てくるなど、予告編そのものなのだ。
では、その映画本編は本当にこれから作られる予定のものか。そうではない。これは、「架空の映画のリアルな予告編」なのである。テーマは、「ポスト非核化の北朝鮮」だ。
内容はいたってシンプルで、(1)さまざまな困難を抱える北朝鮮の現状の場面、(2)もし北朝鮮が非核化を受け入れたらどんな繁栄が待っているかという場面、(3)そしてそれを実現できる世界でたったふたりのヒーローとしてトランプ氏と金正恩氏が紹介される場面、と大きく言って三部構成になっている。ナレーションは英語だが(金正恩氏に渡したものは朝鮮語版だそうだ)、映像だけ見ていればだいたいは理解できる。
「北朝鮮の未来の繁栄」の場面はもちろん想像にすぎないのだが、韓国やアメリカやほかの国々などの高層ビル、高水準の医療施設、品物であふれ返るスーパーマーケット、ドローンやスマホを駆使するハイテク生活といった映像を切り取ってつなぎ合わせたもので、将来への夢をかき立てるものとなっている。
私はこの映像を、自分が勤める大学で学生たちに見せて、尋ねてみた。「あなたが金正恩だったら、この映像を見せられてどう思うか?」
興味深いことに、答えははっきりと三つに分かれた。「これはいわゆる西洋社会の繁栄の姿。北朝鮮が目指すのはこんな社会ではない、と突っぱねる」という“プライド派”、「繁栄はしたいが、この映像には数字などの実証的裏付けはないので、信用できない」という“慎重派”、そして残りが「すごい、と感動してトランプ大統領の提案に乗る」という“ファンタジー派”だ。
学生の中にけっこうプライド派や慎重派が多かったのはやや意外だったが、ファンタジー派の学生たちは「まずはイメージが大切だ」「架空の映像だからこそ、逆に素直にそっくり信じたくなる」とこの動画を手放しで評価していた。
これは私見なのだが、トランプ氏は「金正恩氏もファンタジー派、この映像を見て喜び、非核化を受け入れようと考えても不思議ではない」と見込んだのではないかと思っている。昨年夏頃以降、トランプ氏は金正恩氏をツイッターで「チビのロケットマン」などとさかんに挑発、それに対して金正恩氏は北朝鮮メディアを通じて「老いぼれ」などと応じ、一時は“言葉の戦争”状態となった。しかし、11月になってトランプ氏は突然、「私は彼のことを『チビでデブ』などとと言ったことがないのに、彼はなぜ私のことを『老いぼれ』などと言って侮辱するのだろう。そう、私は彼の友人になろうと大いに努力している。それはいつかは実現するかもしれない!」とツイートしたのだ。もしかしたらこの時点でトランプ氏は、「金正恩氏はパフォーマンスに対してパフォーマンスで応酬できる、話のわかる男」と感じ取ったのかもしれない。
いや、国際政治や外交はパフォーマンスではない、これほど真剣なものはないのだ、という意見もあろう。ただ、それはトランプ氏には通じない。
トランプ氏は04年から3年間、アメリカの地上波NBCの『アプレンティス』というバラエティー番組のホスト役をつとめた。これは、ニューヨークを舞台にしてトランプ氏から出された課題に参加者が取り組み、最後に全員が集められて、トランプ氏により勝者と敗者が発表される、という趣向の番組だ。敗者の中からさらに落伍者が選ばれ、トランプ氏が決めゼリフである「おまえはクビだ!(You’re Fired!)」を宣告するのが人気を呼び、彼は一気に全米のスターになったという。
当時、すでに大富豪だったトランプ氏が、容赦なく「おまえはクビだ!」と宣告するのは彼の“地”なのか、それとも演技なのか。そのことにも関心が集まった。しかし、どうやらそれはどちらでもないようだ。16年、大統領選で共和党代表となったあとに出版された『トランプ』(ワシントン・ポスト取材班ほか著、文藝春秋)にはこう書かれている。
「俺は人が好きだ」「だが、番組で人をクビにしたことで、俺の人気は高まった。皮肉なもんだな。俺は正直な人間だ。俺がやるべきことをやっているだけだと、みんなわかっているんだ。マイケル・ダグラスは俺のことを、テレビ界で最高の俳優だと言った。だが俺はこう返した。『演じているんじゃない。これが俺なんだ』」
パフォーマンスや演技、あるいは現実なのか。素顔や“地”なのか、あるいはファンタジーやショーなのか。そこに境界はない、自分はそのどちらの存在でもある、とトランプ氏は言っている。そして、『アプレンティス』やその後、レスラーの大富豪マネージャー役として参戦することになったプロレス団体WWEの大会の映像などをいま見ると、誰もがこういう印象を抱くだろう。「大統領になったいまと少しも変わらない!」
結局、彼はずっとトランプ氏としてトランプ大統領という役を演じているように、外側からは見える。しかし、「演技では困る」と言う人に対しては、「演技じゃない、これが自分なんだ。それが何か問題か?」と言い返すだろう。そして、彼は「金正恩氏もまた、 “北朝鮮の独裁者”という役柄を演じており、それが彼自身でもあるのだ」と感じた。だからこそ、架空の映画の予告編を見せれば、彼なら「これはすごい!」とわかってくれるだろう、と踏んだのではないだろうか。
もちろん、今回の首脳会談の先のことは、誰にも保証できない。もしあの動画を見て一時は喜んだとしても、自分の国に戻った金正恩氏は、「そうは言っても、簡単に核は放棄できない。あんな動画など信用できるものか」と、ややリアリティーを取り戻してしまったかもしれない。
テレビ番組での“迫真の名演技”を指摘され、「演じているんじゃない。これが俺なんだ」と言い切ったトランプ氏の読みは、はたして当たったのだろうか。これからのトランプ氏、金正恩氏の動向に注目したい。
米朝首脳会談は従来の外交論や心理学では読み解けない
(医師)
2018/07/06