確かに、問題は経営責任者ポストですね。その位置に女性が不自然に少ない。イミダスの皆さんが身を置かれているメディア業界も、そうだといえると思います。
ここで思い出すことが一つあります。新聞協会の会合で講演させていただいた時に聞いた話です。前年の講演者だった作詞家の阿木燿子さんが、会場を一目みて仰天し、次のようにおっしゃったそうです。「こんなに見渡す限り黒々と男性で埋め尽くされた会場で話すのは、刑務所のイベントでお話しして以来のことです」。メディアワールドは刑務所だったのか!
刑務所はともかく、メディアのようにクリエーティブであるはずの世界で、感性豊かな女性たちがもっと主力を占めないのは、なぜなのか。
この場合の答えは簡単です。つまり、クリエーティブな現場から遠ざかれば遠ざかるほど、女性の数が少なくなるということです。阿木燿子さんが目の当たりにされた刑務所的オール男性集団は、メディア陣といっても、その経営層の人々でした。報道の第一線で活動する記者さんたちではなくて、メディアという組織の責任者たちです。その階層になると、業種・業態のいかんを問わず、女性極少世界になってしまう。
経営層から女性を排除する力学は何なのか。
そこには、どうも次の四つの力の交錯と綱引きが働いているように思います。すなわち、同類志向、異類志向、冒険心、そして恐怖心です。これらの要素を縦軸・横軸に配して座標平面をつくってみるとどうなるでしょうか。
縦軸を同類・異類軸として、上に行けば行くほど異類志向が強く、下に行けば行くほど同類志向が強いということにしましょう。横軸が冒険心・恐怖心の軸で、右に行けば行くほど冒険心が高まり、左に行けば行くほど恐怖心が募るということにしましょう。
この座標平面上に、黒々オール男性集団と化した企業経営者の集まりを配置してみると、どうなるでしょうか。彼らは、要するに同類志向が強くて恐怖心が大きい。似た者同士でいることに安心感を覚え、自分たちと違う存在を受け入れることに対する恐怖心が強い。
ちょっと違和感のあるものを取り込んで冒険してみるか、という感覚が希薄であればあるほど、そのような集団はこの座標平面上の最も左下の角に位置することになるわけです。
逆に、似たものだらけではつまらない。相異なるもの同士の切磋琢磨(せっさたくま)の中から新しいものをつかみとろう。異なるもの同士だからこそ、新たな共存・共栄への発展的な道が開けるのではないか。そのような行動原理を持つ集団は、この座標平面上で最も右上の角に陣取ることとなります。
日本の場合、長く男性社会状態が続く中で、大多数の企業が座標平面上の左下の端の方へ端の方へとみずからを追いやって来た。どうもそういうことではないかと思います。
真っ黒けでもいい。退屈でもいい。同類同士でもたれ合っていけば何とかなるだろう。知らず知らずのうちに、この感性がどんどん深く広く根を張って来た。その結果が、刑務所的均一性症候群なのではないでしょうか。
それに対して、多くの女性が活躍する創造的な現場であればあるほど、そこは上記の座標平面上の右上的空間だということでしょう。
もっとも、ここまで来ると注意を要する点が一つありますね。それは、今後、もし日本社会において女性経営者が主流となったら、その時、何が起きるかということです。
我らもまた、これまでの男性たちと同様に同類志向を強め、踏み出すことへの恐怖心の強い集団と化してしまうでしょうか。それとも、多数派となってもなお、我らはシャープな異類志向と果敢な冒険心に満ちた存在で有り続けることが出来るでしょうか。
身が引き締まりますね。