このやり方に対して、雇用・年金担当相のイアン・ダンカン・スミス氏が激怒し、辞表を提出しています。ダンカン・スミス氏は、かつて保守党党首を務めたこともあります。つまりは、党の重鎮です。そのため、この辞任劇は、どうも、次期党首選挙を目指しての政治的駆け引きではないか、と観測されたりしています。
それはそれとして、筆者には、このような形で一国の社会保障制度というものが小突き回されることが、何とも気に食わないのです。
日本でも、とかく「社会保障は財政再建の本丸だ」というようなことが言われますよね。要は、社会保障改革に切り込まない限り、本格的な歳出削減は望めない、という趣旨です。確かに、その通りではあります。特に、年金・医療・介護に関わる社会保険制度は、間違いなく巨大な財政負担をもたらしています。この問題に、真剣に向き合う姿勢は確かに必要です。
ですが、それにしても、社会福祉がひたすら「財政再建の本丸」という形でしか話題にならないのは、何とも情けないと思うのです。
これでは、まるで社会福祉が敵城攻落のための要のように見えてきてしまうではありませんか。社会福祉は、敵城の本丸ではありません。社会福祉は、人々の生存権を守るためのお城の本丸です。まともに人間らしく生きる権利、すなわち生存権は、基本的人権のまさしく要に位置しています。そして、生存権を支える仕組みが社会保障制度です。
1948年の第3回国際連合総会で採択された世界人権宣言の中においても、社会保障を受ける権利は基本的人権の一つとして明記されているのです。
このような位置付けを与えられている社会保障制度について、財政上の「本丸崩し」の観点からしか議論が展開しないのは、やっぱり、おかしいでしょう。政争の具としてもてあそばれるのは、もってのほかだと思うのです。
社会保障制度が、より良く基本的人権の礎たるためには、どのような改革が必要なのか。たまには、そのような観点からの議論を聞きたいものです。