1989年11月9日、ベルリンの壁が倒れて東西ドイツの統一への道が開かれました。あれから今年(2019年)で30年。皆さんの中には、生まれた時、物心つかれた時には、もうベルリンの壁は無かったという方もたくさんおいでのことでしょう。
物理的な壁が倒れたら、その後に心の壁が立ってしまった。統一後のドイツについては、しばしば、このような実態が指摘されます。
旧東ドイツの人々は、あれから30年も経過した今なお、自分たちは西側の住人たちによって二流市民・三流市民扱いされていると主張する。旧西ドイツ側では、東の面倒見にカネがかかってしょうがないという不満がくすぶる。なぜ、いつまで経っても、彼らを支援するために我々の血税が使われ続けるのか。この思いが西側の「嫌東」感を深めていく。
2015年には、ドイツはアンゲラ・メルケル首相の判断で大量の難民を中東やアフリカから受け入れましたよね。この政治姿勢は当初、ドイツ内外で称賛を浴びました。称賛は当然だったと思います。実に立派なことでした。
ただ、残念ながら、この政策方針も、その後にドイツ内部における西と東の溝を深め、心の壁を高める結果を招いてしまいました。東の住人たちの目には、難民の方が自分たちよりも丁寧な扱いを受けているように見えてしまったのです。同胞よりも難民の方が大事なのか。結局のところ、西側では我々を同胞とは見なしていないのか。そんなやり切れない思いが、東の人々の中に広まっていくことになりました。
そんな彼らの心の闇に付け込んだのが、極右国家主義政党の「ドイツのための選択肢(AfD)」でした。この政党の主導者たちはおおむね西ドイツ側の出身者です。ですが、「我々には、皆さんの気持ちがよく分かる。我々にしか皆さんの気持ちは分からない。東ドイツの誇りを取り戻そう」などという類いのメッセージを盛んに繰り出して、東の人々のハートをわしづかみにしてしまいつつあります。
今日のドイツは、旧東ドイツ側の五つの州と、旧西ドイツ側の11州で成り立っています。東の5州では、このところ、地方選挙が相次ぎました。ザクセン・ブランデンブルク・チューリンゲンの各州です。そのいずれでも、AfDが躍進を遂げました。
「東ドイツ時代の方が、みんな平等で、生活も安定していた、ずっと良かった。あの頃に戻りたい」このように感じる人々は、皮肉にも悲しくも、壁倒壊の日から時間的に遠ざかれば遠ざかるほど、増えているようなのです。国家主義と恐怖政治の時代の映像も、セピア色を帯びてくれば、美しく風情あるものに見えてくる。そんな状況が深まり広がっていくことが気掛かりです。
壁が無いことが当たり前になった今、壁ありし日々の悲劇の実態をしっかり語り継いでいかなければいけない。東西を問わず。つくづくそう思います。