子年の2020年がスタートを切りましたね。皆さんは、「ねずみ」といえば何を真っ先にイメージされますか。差し当たり、「大山鳴動して鼠一匹」などがすぐ頭に浮かびますよね。今年はどんな大山がどう鳴動するのか。そしてどんな鼠が飛び出してくるのやら。
ちなみに、この言い方は実は古代ローマ時代が発祥の地です。クインタス・ホラティウス・フラクス(通称ホラティウス)という詩人の言葉で、正確には「山々産気付き、愚かで小さな鼠が生まれる」となっています。日本語訳の方が格調高くて語呂もいいですね。しかしながら、原語の生々しさは、やはりなかなかのものです。ドナルド・トランプや習近平など、噴火力に富む危険な山々が産気付くと、一体どれほど愚かな鼠が飛び出してきてしまうでしょうか。産み落とすのが愚かな鼠であればあるほど、なるべくサイズは小型にとどまってほしいものです。
大山鳴動とは全くジャンルが別ですが、歌舞伎の「祇園祭礼信仰記〜金閣寺」という演目にも、鼠が登場します。長い話ですが、鼠に関わる部分だけをご紹介すれば、次の通り。美しい雪姫様が悪いやつにだまされて捕縛され、金閣寺境内の太い桜の木に縛り付けられてしまいます。進退窮まった雪姫は、苦肉の策で、足元に散り積もる桜の花びらで土の上に鼠を描きます。すると、たちまちその鼠が動き出し、雪姫を縛っている縄を食いちぎってくれるのです。めでたし、めでたし。
なぜ、雪姫がこの一計を案じるかというと、実は、彼女はかの雪舟のお孫さんなのです。雪舟は室町時代を代表する水墨画の名手です。彼女が描く「爪先鼠」はおじいさまの幼かりし頃の逸話にヒントを得たものなのです。
禅僧になるべく修行中だった少年雪舟は、ともかく絵が描きたいので勉学に気合が入らない。ついに怒り心頭に発したお師匠様に、太い柱に縛り付けられてしまいます。反省からか憤懣(ふんまん)からか、涙が出てきた雪舟少年は、その涙で足元の床に鼠を描きます。その鼠の絵を見たお師匠様が、それを本物の鼠だと信じ込む。そして、ようやく、弟子の才能に目覚めるのです。
雪姫はこの祖父のお手本をまねして、窮地を脱したというわけです。子年の2020年は、どうも政治も経済も雲行きが至って怪しげです。剣呑な雰囲気が漂っています。アメリカとイランのにらみ合いも、またいつ何時、武力衝突に向かって鳴動し始めるか分かりません。
様々な怖いエネルギーをうちに秘めた山々に、我々は縛り付けられている。不気味な山々が産気付いた時、そこから転がり出た愚かな鼠にアタックされるのか。それとも、才能ある人々が爪先で描く賢き鼠さんたちが出現してきて、我々を縛っている縄を食いちぎってくれるのか。どうなることやら感に浸りつつ、子年の2020年を迎えた次第です。