〈朝鮮は小さく、弱い国だ。日本が朝鮮国内の改革を手伝い、立派な独立国にしてあげないと、すぐに〝列強〟にのみ込まれてしまう。朝鮮が日本のようになるのを妨害しているのが、清だ。朝鮮には、清の古い野蛮な考え方ではなく、わたしたちの新しい価値観が必要だ。朝鮮のために、清を追い払おう!〉
じっさいには、地理的に日本よりヨーロッパに近い清国は、近代化を進めているところでした。しかし、政府の説明が新聞によって広がり、日本の人々に信じられたのです。そうして戦争がはじまると、日本軍勝利のニュースが紙面で大きく取り上げられ、これまでになくナショナリズムが盛り上がりました。※5
内村さんも、その説明に納得していました。1894年に書かれた「日清戦争の義」という文章では、清を「世界の最大退歩国」とまでいっています。そんな清から朝鮮を守ってあげよう、というわけですね。さいごは、この戦争の目的は、清を壊滅させることではなく、目覚めさせることだ。日本と清が協力して「東洋の改革」に取りかかり、「永久の平和」を目指すための戦争なんだ、と力説しています。※6
でも、日清戦争に勝利した日本は、朝鮮にたいする清の影響力を弱めるだけではなく、清にたくさんの賠償金を要求し、領土を割譲(戦争で負けた国が領土の一部を他国に与えること)させました。結果を見れば、朝鮮を清から守るというのは口実にすぎなかったことがわかりますよね。
ですが、日本の人々はそんなことにはかまわず、勝利の喜びに酔いしれました。これで自分たちも、西洋と肩を並べる近代国家の国民になれたんだ、という優越感がありました。そこには、日本より出遅れた他の国々を見下す気持が含まれていたかもしれません。
その後、日本政府はドイツ、フランス、ロシアの勧告に従って、一度獲得した遼東半島を清に還します。「三国干渉」と呼ばれる出来事ですね。日本の人々は、犠牲を払って得た利益を手放すこの決定に怒り、政府の責任を追及しました。これをきっかけに、〝議会がきちんと国民の意見を代弁してくれないせいで、国が勝手なことをした〟と考える人が増え、かぎられた金持ちだけではなく、みんなに〝平等〟に投票権が与えられる選挙を実施しようとする動きが広がっていきます。
でも、日本人のあいだの〝平等〟が大切だと思うのなら、同時に、日本人は外国の人々を〝平等〟に扱わなければならないはずです。戦争に勝ったからって、他人のお金や土地を手に入れるのは当たり前なのでしょうか。誰だって、自分がそんなことをされたら嫌なはずです。しかし、ほとんどの日本人は、自分たちの矛盾に気をとめませんでした。さらに日本の政府は、ロシアにたいする国民の敵対心をあおりました。人々の不安や怒りが、外国に向くように仕向けたのですね。この流れが、日露戦争につながっていきます。内村さんは、攻撃的な愛国心のうねりを見て、「不敬事件」で自分を襲った日本人の〝浅い〟怒りを思い出していたはずです。
日本の矛盾に気づいた内村さんは、日清戦争を「義戦」=ただしい戦争だと信じていた自らの誤りを批判し、反省しました。しかし、大多数の知識人は、そうではありませんでした。たとえば、最近まで一万円札に描かれていた福沢諭吉さんは、はじめのうちは朝鮮が自分自身で改革を進めるほうが良いと考えていたものの、その後は戦争を支持する意見を表明して、世論に影響を与えました。福沢さんは、日本の独立が何より重要だという考えから、戦争によって国が一つになることを優先したのです。外側への敵対心をエネルギーにして、内側が強くまとまる。福沢さんは、そのような愛国心の特徴を利用したのですね。※7
〝平等〟は明治の人々の理想でした。でも、こうしてその理想は、他国の人々の〝自由〟を踏みにじる、排外的なナショナリズムと結び付いてしまったのです。
それでも日本を見捨てなかった内村さん
〝日本は、この十数年のあいだに、台湾、樺太、満洲、朝鮮を獲た。しかし、たくさんのものを獲た日本は、「霊」という面では多くを失った。〟※8
内村さんは、「朝鮮国と日本国」という文章に、このようなことを書きました。また、日本が朝鮮を正式に支配下に置いた時(韓国併合、と呼ばれています)には、「領土と霊魂」という文章で、つぎのように嘆きました。
〝もし、全世界を獲たとしても、「霊魂」を失ってしまったらなんの意味があるだろうか。どれほど領土が増えても、「霊魂」を失ってしまったら、自分はどうすればいいのだろう。ああ、どうすればいいのだろうか。〟※9
どちらも、日本が他国を侵略し、利益を得ていることを批判したことばですね。
誰かに悪いことをしたら、相手だけでなく自分自身も傷つき、ほんとうに大切なものが損なわれてしまう。これはたしかです。キリスト者である内村さんは、大切なものを「霊」や「霊魂」と表現しましたが、シンプルに〝心〟と言いかえても良いでしょう。でも、内村さんのことばは、日本の人々に自分の愛国心を反省してもらうには、ちょっと弱々しくて、抽象的だと感じませんか。
そうなった理由の一つは、当時の日本では、国をはっきり批判するのがとても危険だったからです。逮捕されるだけでなく、処刑されるおそれがありました。でもそれ以上に、内村さんが、日本に、日本人に、深く深く〝絶望〟していたことが理由ではないかと、わたしは思います。ある文章で内村さんは、日本人はみんなが愛国者で、そのほとんどが政治家だ、だから日本人はキリスト教を信じられないんだ、と見放しているほどです。※10 そう書いたのは、1904年。愛国者になろうと決意してアメリカに渡った20年前とくらべて、内村さんの態度はこんなにも変わっていたのです。
※1
「岩崎行親君と私」(『内村鑑三全集』30巻、岩波書店)207頁
※2
鈴木範久『内村鑑三日録12 1925-1930 万物の復興』教文館 135頁
※3
『精選版 日本国語大辞典 第二版』 小学館
※4
竹内好「解説 アジア主義の展望」(『現代日本思想大系9 アジア主義』筑摩書房)61頁
「初期ナショナリズムと膨脹主義の結びつきは不可避なので、もしそれを否定すれば、そもそも日本の近代化はありえなかった」
またこの箇所は、中島岳志さんの『アジア主義』(潮文庫)も参考にしています。
※5
新聞と戦争の関わりについて知りたい人には、鈴木健二さんの『戦争と新聞』(ちくま文庫)という本がオススメです。
※6
「日清戦争の義」(『内村鑑三全集』3巻、岩波書店)112頁
※7
戦争によって愛国心が高まり、それによって日本国内の〝平等〟への気運が広がる現象は、第二次世界大戦の時にも生じました。興味のある人は、加納実紀代さんの『女たちの〈銃後〉』(インパクト出版会)などを読んでみてください。
※8
「朝鮮国と日本国 東洋平和の夢」(『内村鑑三全集』17巻、岩波書店)68-69頁
※9
「領土と霊魂」(同前)332頁 「人、若し全世界を獲るとも其霊魂を喪はゞ何の益あらんや、若し我領土膨脹して全世界を含有するに至るも我が霊魂を失はゞ我は奈何にせん、嗚呼我は奈何にせん」
※10
「日本人と基督教」(『内村鑑三全集』12巻、岩波書店)349頁
※11
「神の愛するもの」、「平民の定義」、「平民主義の真相」(いずれも『内村鑑三全集』8巻、岩波書店)
※12
「TWOJ'S」(『内村鑑三全集』30巻、岩波書店)53頁
※13
「キリスト伝研究(ガリラヤの道)」(『内村鑑三全集』27巻、岩波書店)300頁