そのため内村さんは、日本が東洋と西洋の架け橋になり、キリスト教を世界中に広める使命を神から託されているという考えを、捨てなければなりませんでした。もともとキリスト教には、神がイスラエルの民を選び出したという発想がありました。内村さんはそれを日本にも当てはめて、この国にもきっと特別な使命があるはずだ、と想像したのですね。しかし内村さんは、日本という国や日本人を特別視するのを徐々にやめていきました。日本国民であることより、〝自由〟で〝平等〟な「平民」であることがよっぽど大事だ、と考えるようになりました。※11
では、国を愛する気持は無くなったのでしょうか。
そうはならなかったのが、内村さんの面白いところなんです。
年をとった内村さんは、人生を振り返って、自分は「二つのJ」を愛した、と語りました。「二つのJ」とは、日本(Japan)と神(Jesus)です。やはり内村さんにとって、日本は神と並ぶ大切な存在だったのです。※12
みなさんは、自分が生まれる場所を自分で決めたわけではありませんよね。生まれた家、土地、家庭、環境……。こうした大切なものを、ひとは人生のスタート時に、何一つ選べません。一生の中で、自分で選べるものよりも選べないものの方が多い。それはこの先もっと科学が発達しても、変わらないでしょう。
ジャパンもジーザスも、内村さんが自分の意思で選んだわけではなく、偶然出会ったものだったことが、重要なポイントだと思います。日本という近代国家が誕生した激動の時代に立ち会ったのも、入学した学校でキリスト教を信じはじめたのも、どちらも偶然でした。
ですので、「二つのJ」を愛するっていうのは、偶然出会ったものを愛する、自分で選んだわけではなくても、いつの間にか外側から自分の中に入り込んで来たものを大事にする、ということなのではないでしょうか。そういうものが、自分をつき動かす、勇気の源になってくれる。だからこそ、出会った人や、ものや、出来事や、環境を、しっかり受けとめなければならないんだ。
国としての使命なんかない。特別な国民や民族なんかない。でも、自分が今ここで生きていること、あなたが今そこで生きていること、そしてわたしたちが出会ったこと、それには特別な意味がある。すべての偶然の出会いに、特別なミッション(使命)があるんだ。
そんな想いがあったから、内村さんは日本を批判しても、完全には見捨てなかったのでしょう。それが、国を愛する内村さんの気持でした。
日本が戦争に突き進むにしたがって、心の中にひきこもり、現実から目をそらすキリスト教徒が増えていきました。宗教には、現実に関わりのない価値がある。そう思わないと、世界が理想のすがたからどんどん離れることに、耐えられなかったのです。それはある程度、内村さんにも当てはまります。内村さんも、現実への期待を失いつつありました。ですがそれでも、内村さんは、現実は現実、宗教は宗教、と分けませんでした。〝政教一致〟、つまり、信仰にもとづいて現実を変えることが必要だ、という意見を貫いたのです。
「神は絶対的個人主義を認め給はない」。このことばが、内村さんの考えをよく言い表しています。※13 どんなひとも、たくさんのものに偶然出会い、たくさんのものを偶然与えられている。その結果、今の自分がいるんだ。だから、一人の力では何かを信じることなんかできないし、すべてを投げ出してゼロから何かをはじめることもできないんだ。出会った人々と共に、与えられた環境を少しずつ良くしていくしかないんだ。個人の価値を誰よりもよく知っていた内村さんが、でも人は一人じゃないと言い切ったことに、わたしは励まされます。
当たり前のことかもしれません。でも絶望した時や不安な時には、どうしても忘れがちですよね。内村さんが、ぎりぎりまで日本の侵略から目をそらさず、批判し続けられたのは、偶然の出会いを大事にする気持が、とても強かったからなのでしょう。
ここに、これからを生きるわたしたちが、ナショナリズムと付き合っていくためのヒントがある気がします。
※1
「岩崎行親君と私」(『内村鑑三全集』30巻、岩波書店)207頁
※2
鈴木範久『内村鑑三日録12 1925-1930 万物の復興』教文館 135頁
※3
『精選版 日本国語大辞典 第二版』 小学館
※4
竹内好「解説 アジア主義の展望」(『現代日本思想大系9 アジア主義』筑摩書房)61頁
「初期ナショナリズムと膨脹主義の結びつきは不可避なので、もしそれを否定すれば、そもそも日本の近代化はありえなかった」
またこの箇所は、中島岳志さんの『アジア主義』(潮文庫)も参考にしています。
※5
新聞と戦争の関わりについて知りたい人には、鈴木健二さんの『戦争と新聞』(ちくま文庫)という本がオススメです。
※6
「日清戦争の義」(『内村鑑三全集』3巻、岩波書店)112頁
※7
戦争によって愛国心が高まり、それによって日本国内の〝平等〟への気運が広がる現象は、第二次世界大戦の時にも生じました。興味のある人は、加納実紀代さんの『女たちの〈銃後〉』(インパクト出版会)などを読んでみてください。
※8
「朝鮮国と日本国 東洋平和の夢」(『内村鑑三全集』17巻、岩波書店)68-69頁
※9
「領土と霊魂」(同前)332頁 「人、若し全世界を獲るとも其霊魂を喪はゞ何の益あらんや、若し我領土膨脹して全世界を含有するに至るも我が霊魂を失はゞ我は奈何にせん、嗚呼我は奈何にせん」
※10
「日本人と基督教」(『内村鑑三全集』12巻、岩波書店)349頁
※11
「神の愛するもの」、「平民の定義」、「平民主義の真相」(いずれも『内村鑑三全集』8巻、岩波書店)
※12
「TWOJ'S」(『内村鑑三全集』30巻、岩波書店)53頁
※13
「キリスト伝研究(ガリラヤの道)」(『内村鑑三全集』27巻、岩波書店)300頁