その日、カルロスがいつもいる地下鉄駅の階段のところへ行くと、仲間の青年たちと何やら陽気におしゃべりをしていた。どうやら皆、アクティーボをかなり吸った後らしく、妙に興奮している。するとそのうち声を揃えて、こう歌い始めた。
「何千ものストリートチルドレンが物乞いしてる。なんて酷い世の中だ〜」
それは地元のロックバンドの曲の一節らしかったが、その歌に続けて始まったカルロスの大演説が、私たちの胸に重くのしかかった。
「大体、いい服を着て、携帯電話とか高級時計とか持ってる奴に限って、ボクたちをののしるんだ。小銭ちょうだいって言うと、嫌そうな顔をするし。奴らには、家も家族もない人間の辛さなんて、わからないんだ――」
そう、子どもたちは好き好んで物乞いをしているわけじゃない。それでもやらなきゃならないのは、大人が支えてくれないから。それなのに、道ゆく人の中には、彼らを蔑むような目で見る者もいる。お金を持っている人間に限って、そうだ。
逆に同情的なのは、大抵、貧困層の人たち。薬物代に使ってはダメだと諭したり、ただお金を恵むのではなく、簡単な仕事を頼んで正当な報酬として何十ペソか渡したりする人もいる。これは路上の子どもたちに対してだけでなく、お金に困っている老人や移民などに対しても、同じことが言える。自分たち自身もいつ同じ状況に陥るかわからないという危機感を抱く人々が、手を差し伸べ、連帯の意思を示すのだ。お金は大してなくても、支え合う気持ちがあれば、何とか生き延びられる。貧困層の知恵だろう。
「路上の家族」
そういう意味では、カルロスたち路上の少年少女や若者たちも、同じ知恵を持ち合わせていた。1990年代末の一時期、カルロスは、気のいい年上の仲間2人と特に親密になったことで、以前よりも明るくなった。さきほどの大演説を終えた際も、いきなり泣き出した少年の頭を、そばにいた19歳の青年フアンが、
「こいつは実の弟も同然なんだ」
と言いながら、優しく撫でた。仲間の思いやりや温かさは、過酷な路上生活を送る幼い子どもにとって、大きな救いだった。

地下鉄駅の階段入り口で、死んだ弟のことを思い出して泣き出したカルロスは、「ペロン(ハゲ頭)」ことフアン(左)に慰められて、笑顔を取り戻した。1998年初め 撮影:篠田有史
髪の毛はふさふさなのに、なぜか「ペロン(ハゲ頭、の意)」というあだ名が付けられたフアンは、小ねずみ「ラティータ」、カルロスのことをとても可愛がっていた。もう一人、「ソンリサ(微笑み、の意)」と呼ばれる青年も、ラティータのいい兄貴分だった。フアンよりも少し年下で、髪を染めるなど、ちょっとしゃれた格好をしている彼は、どうやらずっと路上にいるのではなく、時々実家との間を行き来しているようだった。路上仲間といる時は、常に微笑みを湛えて、弟分の話に耳を傾け、遊び相手になっていた。だから、「ソンリサ」なのだ。
彼らはほぼいつも一緒で、ねぐらも街なかにある公園の芝生の上に張ったビニールシートと長い木の枝で作ったテントを共有していた。昼間はベンチでおしゃべりをしたり、散歩に出かけたり。
クリスマスが近いある日、私たちは、彼らがねぐらとしているテントの中へと案内された。そこにはダンボールや毛布が数枚、無造作に置かれている。メキシコシティは標高が2240メートルと高いため、夜は冷え込むからだ。その脇に、いくつかおもちゃが置かれていた。
「これはラティータのものだよ」
と、フアン。それはプラスチック製のロボットや何かのお菓子におまけとして付いてきたらしいアクション映画のキャラクター人形、紙で作られたクリスマス用の王冠などだった。ヒョイとその冠を被ったカルロスが、テントの外へ飛び出し、芝生の上を子犬のように飛び回りはじめた。
アクティーボに依存するようになったのはこうした年上の仲間たちを真似たからなので、いい影響ばかりとは言えないものの、今のカルロスは兄貴たちのおかげで、少しだけマシな毎日を送っていた。しかしそれは、彼ら「路上の家族」がいなくなってしまえば、また心が荒むことを意味していた。
それから数ヶ月後に再会したカルロスは、「家族」を失い、途方に暮れている様子で、そこにいた。フアンたちがいないことに気づいた私が、訳を尋ねると、
「みんなどっか行っちゃった」
と、項垂(うなだ)れる。周りにいるほかの子どもたちによれば、どうやら「ペロン」ことフアンは、窃盗で捕まって、刑務所に入れられたようだった。「ソンリサ」は、大人になり、もう路上でフラフラしていることはできないと感じたのか、実家に落ち着いたらしい。悲しみに暮れるラティータは、それ以降、徐々に薬物への依存を深めていく。
広場のベンチ脇に作ったテントをねぐらにしていたカルロスにとって、犬も家族だった。路上の子どもの多くが、犬を飼っている。1999年 撮影:篠田有史