映画で訴えたい
それでも少年は、まだいる子どもたちとともに、路上生活を続けた。身なりへの気遣いはどんどん減り、服は汚れ、靴はボロボロになり、長く伸びた髪の毛はボサボサのまま、排気ガスや埃まみれで固まった。そんな彼に、私たちはメキシコシティを訪れるたびに会いに行った。そして、篠田が撮った写真をプレゼントしたり、一緒にタコスを食べたりして、できるだけつながりを保つように努めた。カルロスが路上生活を抜け出す方法を探るためにも、もっと彼のことが知りたかったからだ。
カルロスも、そんなプレゼントや再会を、彼なりに楽しんでいるようだった。ただし、フアンたちと笑顔で写る写真を見た時だけは、少し違った。じっと見入るその瞳から、突然、涙がこぼれ出したのだ。
家族同然だと思っていた仲間を失ったという深い悲しみと孤独。それと同時に絶えず続く、社会の冷淡で差別的な視線や、警察による無慈悲な強制排除。それらすべてが、少年から光を徐々に奪っていき、楽しかった時への郷愁を深めているようだった。
この2000年代初頭、すでに述べたように連邦政府とメディアの「ストリートチルドレン」への対応は、「この問題に注目する」という意味では前向きな姿勢に変わっていたが、社会や警察の対応は違った。子どもたちの存在は、依然として「社会におけるゴミ・邪魔者」だったのだ。例えば、カルロスが登場するテレビ局のレポートに出てきたマンホールに住み続けていた子どもたちも、その後、立ち退きを強いられた。
「ボクたちは抵抗の闘いをしたんだ。追い出されそうになった時、テレビ局の人とかに訴えたんだけど、結局立ち退く羽目になった。本当はボクたちの闘い、映画にしたかったんだけどなぁ」
カルロスがある時、ふとそんなことを口走った。自分たちで映画を作りたかったというのだ。
その頃は、たくさんの露店が並ぶ地域をねぐらにしており、日銭を稼ぐためによく海賊版の映画DVDを売る露店の開店準備と閉店作業の手伝いをしていた。店の営業中には、店頭に置かれたテレビでデモ上映している映画を観るのが日課だった。屋根部分に近い所に設置されたテレビに映るアニメやアクション映画を、地面に座り込んでじっと見上げる。
「ボク、映画が大好きなんだ」
それがカルロスの率直な声だった。
ちょうどこの時期に前後して、メキシコでは「路上から(De La Calle)」というタイトルの、路上に生きる子どもたちを主人公にした映画が制作され、上映された。リアルな当事者であるわが友人は、他人が作ったフィクションではなく、自分たちの現実を訴える映画を自ら監督できたら、どんなにおもしろいだろう、と考えたのだ。その夢は実現しなかったが、この時ほど、彼が自分の主張を生き生きと雄弁に語ったことはない。
「大体、家庭に問題があるから路上へ来たのに、それをちゃんと考えずに路上にいるボクたちをそこから追い出そうとするなんて、大人は間違ってるよ。ボクたちには、少しでも安心して暮らせる場所にいる権利があるんだ。保護施設があるっていうけど、そこで大切にしてもらえるとは限らないし、これまでずっと助け合ってきた仲間と別れるのだって簡単じゃない。そういうことを、警察とかはちゃんと聞いてくれはしない。だからボクたち自身が、訴える必要があるんだ――」
小学校にすら通ったことがなく、お金の計算はできても読み書きは自分の名前を書くことくらいしかできないカルロス。だが、その主張には、それなりの論理性と訴える力があった。

寒い夜、網状の地下鉄の排気口から噴き出す暖かい空気で暖をとりながら、カルロス(中央)は仲間としばし語り合う。2000年末 撮影:篠田有史