グスターボが出会ってきた子どもの中には、売春をせざるを得なかったり、幼くして子育てをするはめになったりした少女が、何人もいる。そんな彼女たちを、彼は歌で慰め、話を聞き、デイセンターや女子定住ホームでの支援へとつないできた。
グスターボは、付き合いの長い少女に、自作の歌を贈ることもある。
「幼い彼女は、家を飛び出し、愛と夢を求めて、路上を彷徨う――」
まだ路上生活を続けている少女の誕生日。デイセンターを訪れた彼女に、グスターボが特別に作ったオリジナル曲を歌って、プレゼントした。大きなバースデーケーキを前に、自らの人生をなぞるかのような歌詞とメロディーに包まれ、少女はサビで繰り返される自分の名を耳にしながら、涙を流した。私たちは、その涙の先にハッピーエンドが来ることを願ったが、期待は虚しく裏切られる。その後、路上で家庭を築いた少女は、やがて自分が産んだ子どもを残して、事故死した。彼女は、あのカルロスの良き友でもあり、私たちにとっても忘れ難い路上の友人の1人だった。
先の見えない苦しみ
数々の悲劇と向き合いつつ、希望の種を蒔くために路上を巡るストリートエデュケーター。だが、「カサ・アリアンサ・メヒコ」のジョンをはじめ、その多くが数年後には転職していった。かなり長い間、路上活動を続けていたラウルでさえ、ある時、「プロ・ニーニョス」を辞めて、別の仕事に就いた。
ジョンの場合は、ラウルたちストリートエデュケーターにサーカス芸のワークショップを提供したシルク・ドゥ・ソレイユが後押しするNGOで、スラムの子どもたちのためのサーカス教室を開いている。ジョンがストリートエデュケーターを辞めた際、そんな日が来るとは夢にも思っていなかった私は、本人に直接、転職理由を尋ねた。
その時に返ってきた答えは、こうだ。
「がんばっても、なかなか願っているような結果には結びつかない活動を続けていると、精神的に参ってきたからだと思う」
彼の言葉に、私は改めてこの仕事の厳しさを思い知らされた。知り合った若いストリートエデュケーターたちが、1年そこそこで別の仕事に移っていくのを見ながら、私は勝手に「ジョンはきっと続けてくれるだろう」と、期待していた。路上にいる子どもたちの目線で考えれば、信頼できるストリートエデュケーターが長くそばにいてくれるほうが、すぐに路上を抜け出せるにせよ、抜け出せないにせよ、いざという時に頼れるという安心感があるからだ。だが、当のエデュケーターにとっては、何度も通って根気良く話をしても、路上でアクティーボを手放さず、ようやく施設へつなげられたと喜んでいても、数日で飛び出してしまうといったことの繰り返しは、心に大きなダメージを与える。先の見えない活動を続けることが、心底辛くなってしまった者は、その仕事の重要性を承知のうえで、現場を離れる。情熱と忍耐を糧に長く活動してきた者たちにとっても、それは同じだった。

ジョン(中央奥)は、ストリートエデュケーターを辞めた後、スラムでのサーカス教室で貧困層の子どもたちを指導し、彼らの居場所と隣人同士のつながりを築いている 撮影:篠田有史
そうして迎えた、2020年代。路上活動を20年以上続けている友人は、スラムで別の団体を率いながら、ボランティア・ストリートエデュケーターとして活動するグスターボと、もう1人、「カサ・アリアンサ・メヒコ」と「プロ・ニーニョス」、ふたつのNGOでストリートエデュケーターとして活躍したダビだけになった。