2019年9月。私とパートナーでフォトジャーナリストの篠田有史は、4年ぶりに中米ホンジュラスの地に降り立った。2014、15年に取材した若者ギャング団「マラス」は、今も殺人や恐喝といった犯罪を続けている。だが、その組織体制は変化した。以前のように刑務所内の大ボスが携帯電話で指令を出したり、獄中で麻薬を売りさばいたりするのが、難しくなったのだ。その理由は、新しい刑務所にある。
マラスのための刑務所
2016年末、現地の新聞は、ハリウッド映画に登場するような最高レベルの警備システムを持つ刑務所が、二つ、国内に完成したと伝えた。その一つ、首都テグシガルパの東約60キロに位置するラ・トルバ刑務所は、24の建物から構成され、1300人以上を収容できる施設内に400を超える監視カメラが設置されているという。二大マラス、「マラ・サルバトゥルーチャ(MS-13)」と「バリオ・ディエシオチョ(M-18)」の主要メンバーは、これら二つの刑務所に集められた。そこでは、囚人に面会できるのは「家族」のみ。ほかの刑務所が許可している恋人や友人の面会は、一切禁止されている。持ち物や身体のチェックも厳しく、これまでのように内部へ携帯電話や武器、麻薬を持ち込むことは、ほぼ不可能だ。政府はそうやってマラスの組織を分断し、街では警察や軍を使って掃討作戦を展開することで、ギャングを弱体化させようとしている。
「一緒に『ラ・トルバ』へ行きますか。MS-13のメンバーを訪問するんです」
19年の9月初め、アンジェロ(42)から突然、SNSでそうメッセージが届いた。アンジェロとは、拙著『マラス 暴力に支配される少年たち』(集英社)の表紙になっている男だ。彼は1990年代、テグシガルパで名の知られた凶悪なギャング団のリーダーだった。だが、15年間の服役中に信仰に目覚め、牧師となる。今は、ホンジュラス国内各地の刑務所を訪れ、昔の自分のような若者を改心させるための伝道活動に勤しむ。ラ・トルバも訪問しているという。
「えっ、本当に行けるの」
私は思わず心の中で叫んだ。「本物のマラスに、ついに会える」と思ったからだ。
前回の取材では、ネットで「マラス」と検索すると写真が出てくるような、タトゥーだらけのギャングと知り合う機会はなかった。彼らは皆、刑務所にいて、面会が叶わなかったからだ。願ってもない申し出に、私は「ぜひお願い」と即答した。
「ノートやレコーダー、カメラなどは一切持ち込めませんし、いわゆるインタビューもNGです。でも、できることはありますよ。ちなみに、お二人は宣教師として入ることになります」
アンジェロは、そう書いてきた。つまり、取材者ではなく、宣教師グループの一員として訪問するというのだ。写真が撮れないのは残念だが、見聞きすることをできるだけ細かく記憶することで何とかなるだろう。私は条件を受け入れ、彼の指示通りに、早速自分と篠田のパスポートのコピーとフライトナンバーを、彼の師である米国人のダイヤー牧師にメールで送信した。ダイヤー牧師が米国から招いた宣教師のグループが偶然、私たちと同じ時期にテグシガルパを訪れ、国家刑務機関の許可を得たうえでラ・トルバ刑務所を訪ねるのだ。その中にキリスト教徒でもない日本人二人が、飛び入り参加する。それがアンジェロの計画だった。
警備最高レベル
9月半ばのテグシガルパの空はよく晴れ渡り、湿った空気に包まれていた。刑務所訪問の日、私たちは米国人宣教師4人が滞在するホテルのロビーに朝7時前に到着した。すると、ロビーの奥から、がっしりとした体格に太い眉と鼻筋が印象的なアンジェロが現れた。
「おはようございます。準備は万端ですか」
アンジェロと笑顔で握手を交わすと、屋外テラスにいるダイヤー牧師たちの元へと急いだ。
ダイヤー牧師は、50代半ばの小柄な白人男性で、気さくな感じの人だ。ほかに、米国内の異なる地域から来た30、40代の宣教師4人が集まっていた。中年で体格のいい黒人と白人、ビジネスマン風のスリムな人、そして片足にサポーターを付けた青年だ。テグシガルパに住むダイヤー牧師以外は、皆、ほとんど現地の言葉であるスペイン語が話せない。
ホンジュラス人3人、米国人5人、日本人2人、総勢10人の「宣教師グループ」は、2台の車に分かれて、ラ・トルバを目指して走り出した。盆地を出るために、最初はカーブの多い山道を進む。隣に座ったアンジェロは、スマートフォンで教会関係者と頻繁にメッセージのやり取りをしている。やがて視界が開け、乾いた大地に延びる道路をしばらく行くと、出発から2時間近くかかって午前9時過ぎ、ラ・トルバ刑務所に到着した。
バッグ、財布、携帯電話、時計、カメラ、ノート、ペン、結婚指輪など、服以外で身につけているものはすべて車の中に置き、私たちは、聖書とペットボトルの水だけを持って、金網のフェンスで厳重に囲まれた刑務所の正面ゲートへと歩いた。
刑務所の敷地は広大で、高くそびえる正面ゲート付近からは受刑者の収容施設は見えない。