ゲートに小さな受付があり、面会に来たらしい家族連れが差し入れの入った袋を手に立っている。受付の壁には、持ち込みが許されている食料品の種類と分量が書かれた紙が貼られていた。
受付に到着すると、パスポートなど、全員の身分証明書をアンジェロが提出した。訪問者リストに氏名が記載されていることが確認されると、ゲートをくぐることが許される。その先には、目出し帽の兵士が待ち受けており、一人ずつ名簿に名前を書き込むよう指示した。
全員がサインを終えてトイレなどをすませると、私たちは左手へと延びる屋外通路を歩き出した。敷地の周りだけでなく、通路も皆、銀色に光る有刺鉄線の鉄条網と金網のフェンスに囲まれている。高い監視塔がいくつもあり、常に誰かに見張られている気分だ。再びゲートで名前と時間を記入するよう兵士に指示され、今度は四角い建物の中へ進んだ。
そこには高さ3メートルくらいの小屋のような大型エックス線検査機があった。手荷物とベルトなどの金属が付いたものをカウンターに置き、一人ずつ、検査機の中に入る。サポーターを付けていた青年宣教師は外すように兵士に指示され、カウンター伝いに検査機へ向かった。
次は私の番だ。中へ入り、右側の小窓がある方を向いて両足を少し開いて立つ。両腕も挙げ、そのまま静止する。すると、床面がすうっと横へスライドし、機械音が響いた。まるでSFの世界のような「全身スキャン」は、たった2、3秒で終了し、反対側の扉から外へ出た。
その後、いよいよ最終チェックポイントへ。受付から数えて5カ所目だ。そこは屋内にあるバレーボールコートくらいの何もない空間で、服役囚と家族との面会に使われているという。兵士数人に囲まれ、再びボディチェックを受ける。足サポーターの青年は、サポーターの下に何か隠していないか、外して確認される。
私たちは5年前に当時国内最大だったテグシガルパ郊外の刑務所を訪れたことがあるが、このラ・トルバの警備体制は、そこよりも格段に厳重だった。ここで働く者は全員、目出し帽で顔を隠している。服役囚が出所した際に何かの恨みで襲われたりしないためだ。それだけ凶悪な人間が収監されているということだろうか。いろいろ考えながら、最終チェックポイントを出ると、ようやく正面に受刑者の収容棟が見えた。
ギャングの中の「少年」
収容棟に近づくと、金網にへばりついてこちらを見ている5、6人の若者が目に入った。Tシャツやランニング姿で、腕や首や頭にタトゥーが入っているマラスのメンバーだ。その表情は、やけににこやかだった。
「おはよう。そこで何をしているの」
私は、そう声をかけてみた。すると青年たちは、「日向ぼっこだよ」と微笑む。
「2週間に一度、1時間だけ陽の光を浴びられるんだ」
そう言いながら、ただぼんやり佇んでいる。
警備の兵士に急かされたため、私は「じゃあね」と手を振り、収容棟の中に入った。
内部は天井が高く、真ん中に幅4メートルほどの通路が延び、その左右に二つずつ、計四つの収容区画がある。各区画の出入り口の扉に付いた小さな窓からしか、内部は見えない。その小窓から、囚人たちが代わる代わるこちらを覗いている。
収容区画の中に入ると、そこは中南米でよく見る2階建ての長屋のような空間だった。パティオ(中庭空間)を囲むように、1階と2階、まったく同じ形と大きさの部屋が、コの字型に並ぶ。パティオには、床に固定されたコンクリート造りのテーブルと椅子6脚のセットが10組ある。ここに、男ばかり約135人が生活しているという。各部屋は6畳ほどの大きさで、男たちはコンクリートの2段ベッドとその間に吊るしたハンモックで寝起きしている。部屋の一番奥がトイレだ。
アンジェロやダイヤー牧師率いる米国人宣教師たちは、まずここの住人で聖書を学んでいる青年たちと挨拶を交わし、パティオの中央に立って自己紹介をしてから、説教を始めた。椅子やテーブルに座って聞く者、2階のテラスや階段から耳を傾ける者、自室の入り口で眺めている者、興味がないのか部屋から出てこない者、と反応は様々。住人の大半は20代前後の若者で、まだどこか殺気を湛えた目をしている者もいる。
それでも最後の賛美歌を歌い終わった後、互いに握手や抱擁をする時間になると、笑顔で手を差し伸べてくる青年が何人もいた。そもそもここに外国人、しかも「女性」が来ることはまずないため、少し照れた仕草をする者も。あっという間に1時間半が過ぎる。
挨拶が終わると、私たちはそこを出て、隣の区画へ移った。内部構造は最初の所とまったく同じだ。そこには、この刑務所内でアンジェロの教えを受けて回心し、仲間に神の教えを説く「塀の中の伝道師」となった囚人が二人いた。首から丸刈り頭の額にまでタトゥーをしたハビエル(39)と、その相棒のホセ(37)だ。彼らが主導して、住人の約半数が賛美歌を歌いはじめる。皆、真摯な表情だ。そのほとんどは、30代前後とマラスの中でも古株のようで、さっきの若い世代よりも落ち着いている。信仰に目覚めた者も、多いようだ。
暴力的な父親との対立から長らく家族を顧みなかったという米国人宣教師の話と、ダイヤー牧師の説教の後、囚人たちは再びハビエルたちと、祈るように手をかざしながら賛美歌を歌った。そして最後にまた、握手や抱擁の挨拶をする時間が来た。
こちらへ近づいてきたハビエルとホセに、私はさりげなく「いつまでここに」と話しかけてみる。彼らは、意外と気さくに答えてくれる。
「私はあと1カ月で出所なんです。出たら、娘(9)と息子(7)のために、いい父親になりたいです」と、ホセ。ハビエルも
「私も1カ月後に出られます」と言い、真剣な眼差しでこう続けた。
「私は7カ月ほど前に、神と出会いました。それからは、できるだけ大勢の仲間が光を見出せるよう、神に仕えています。途方もなく大きな罪を犯し、危険なこともしてきたのに、私はまだこうして生きている。生き残った。その意味を、ずっと考えているんです」
まもなく私たちが退室する時間となった時、ハビエルが、何人かの囚人たちと紙と鉛筆を手に、アンジェロに何か話しかけた。その後すぐ、アンジェロがその紙を持って私の方へ来る。
「お願いがあるんですが、ここに並んでいる名前を、日本の文字で書いてもらえませんか」
そうニッコリする。