競輪場からバスに乗り、宇都宮駅のひとつ手前で降りた。
目の前にいい感じの喫茶店があり、そこで一服。せっかく宇都宮に来たので、餃子でもと思い、店の女将さんにおすすめの店を尋ねた。女将さんは店の外まで出て、ここの道をまっすぐ行って、左の方に行くとあるわよ、と教えてくれた。
女将さんの指さす方へ、歩いて行くと、あった。餃子通り。ただおすすめの店は長蛇の列で、店の前に置いてある紙に名前を書いて、しばらくすると呼ばれる、そんなシステムだった。だいぶ人が待っていたので、諦めた。周りにもいくつか店があった。スッと入れそうな店が1軒あったので、そこに入った。おすすめの店ではなかったけど、しっかり美味しかった。
餃子通りを後にして、またしばらく歩いた。途中広場のようなところで、ジャズのようなフュージョンのような音楽が聴こえてきた。生バンドが演奏していた。うまいなーかっこいいなーと思いながらしばらく眺めた。自分は上手な演奏も、かっこいい演奏も出来ないのに、よく歌で飯を食ってるなと思った。こういう時、たまに思う。そして少し力が入る。自分は恵まれてる。運がよい。よくわからない力に突き動かされている。そんなことを思いながら演奏に小さくグーサインをして、バンドの前を通り過ぎた。
餃子通りにあった餃子撮影スポット
前日は、駅から車でライブ会場まで送迎してもらったので、いまいち街の感じを掴めていなかったけど、くねくね歩いていくと、駅と商店街、大通り、など全体がなんとなく掴めてきた。アーケード商店街を軸にして、裏通り、脇道、とくまなく歩いた。そこで気づいたことがあった。街を歩く人たちの表情が、柔らかいということ。そしてリラックスしてどこか楽しそう。もしかしたら、宇都宮の人たちは満足度が高いんじゃないかな、とそんなことを思った。
ライブの日に、本番までホテルの部屋で休んでいたが、テレビで見たバスケットボールの試合。宇都宮のチームが出ていて、応援も盛り上がっていた。さっきまでいた宇都宮競輪場。ここも「賭場」という雰囲気があまりなく、スポーツ観戦のような、日曜日のあたたかい雰囲気に包まれていた。来場者も老若男女、色んな客層がいて、和やかだった。通りを歩く人の柔らかさと、スポーツを楽しむ人たちに、どこか共通するものを感じた。たぶん、宇都宮はスポーツが盛ん。そんな想像をしてみた。
スポーツは良い。体を動かすし、汗をかくし、体に良い気がする。お腹も空くし。若い時や、競技なんかは競い合うことに軸が置かれがちだが、大人になってするスポーツは、プロでなければ、平和の象徴な気がする。得意とか苦手とかなく、ボールを一生懸命追いかけたり、その姿は美しい。汗、平和。その清々しさに似たものが、宇都宮の街に流れているのでは……。
そんなことをぼんやり考えていたら、すっかり日が傾いてしまった。帰る前に、誰かと宇都宮の人の満足度について話したい。こういう時は酒場か、バーか、喫茶店か。もう少し歩いてみることにした。
宇都宮はJRと東武の駅があり、東武の方はまだ歩いていなかった。商店街があるなら、やはり歩いておきたい。足はだんだん疲れてきていたが、少し粘ることにした。飲み屋の明かりがちらほら灯り始めていて、もうちょっとのんびりしていきたいなと思い始めていた。ただ、こんなに近い場所で、宇都宮でもう1泊はちょとなあ。新幹線ですぐ東京だし、そうぶつぶつ言いながら歩いていると、バッチリの茶店に出くわした。しかし、やっていなかった。残念に思いながら店の写真を撮っていると、後ろから声をかけられた。店のママさんだった。今閉めたばかりだけど、入っていく? と言うのだ。ありがたい。ありがたすぎる。いいんですか、と言いながら、申し訳なさよりも、喜びがまさっていた。

純喫茶、サンバレー