店の中は、ザ・純喫茶というよりはテレビやカラオケもあって、近所の人たちも集まる店なのかなと思った。話を聞くと、もう50年以上も店をやられているみたいで、ここら辺では一番古いと言っていた。サンバレーという店の名前の由来や、常連さんがサンバレーのロゴを入れたスウェットを作ってくれた話や、色々な話をしてくれた。開店当初は、若い子たちも雇っていて、ものすごい忙しさだったと言っていた。その話が印象に残った。ママさんの語り口から、その頃の様子が想像できた。思い浮かべる映像はなぜかモノクロだったけど、店の中がエネルギーで充満している、そんな光景が目に浮かぶ。俺らは今、ずいぶん静かな時代に生きているのか。そんなはずはないだろうけど、街はその頃に比べると、落ち着いて、歳を重ねたのかもしれない。
重ね重ねお礼を言い、店を後にした。
店を出ると、外はすっかり夜になっていた。肝心の、宇都宮の人は満足度が高いのでは、という話は聞けなかったが、ママさんは、体にわるいところはひとつもない、病院にも行かない、店に歩いて来ている、それが元気の秘訣なのよね、と、そんなようなことを言っていた。これで宇都宮とサラバ、もいいけど、まだ何か欲しがっていた。さっき通りかかった、坊っちゃん、というオレンジの暖簾が気になった。かなり古そうなお店で、その一角だけ、開発からのがれているような雰囲気があった。そこで1杯だけ飲んで帰ろう。歩いていくと、見えた。やはり暖簾が渋い。
坊っちゃん
なぜこの暖簾に惹かれたか。それはちょうど夏目漱石の『坊っちゃん』の文庫本を読んでいたから。店に入ると、L字型になったカウンターの端っこに、壁にもたれかかって、だいぶ酔ったお客さんがいた。焼酎をそのまま注いでくれ、とグラスを差し出し、大将も、だいじょうぶか、と心配していた。そのお客さんが、店に入ったばかりの自分に、よくこの店入りましたね、と言った。この店は最高ですよ、と。焼きそばがうまい、とも。そうですか、いや、暖簾が素敵で、暖簾がいい感じのところは店も間違いないですから、と返し、コップにビールを注ぎ、乾杯。本当は『坊っちゃん』を読んでいたから、というのもあるのだが、まあそこはどうでもよくて。卵焼きが美味しい、とそのお客さんが言ったのか、それを頼んでアテにして飲んだ。しばらくするといよいよその端のお客さんは泥酔して、ドタンと体を何かにぶつけて、店を出て行ってしまった。残された常連さんと大将は、少し心配していた。
少し静かになったので、大将に、やっぱり夏目漱石の「坊っちゃん」から名前取ったんですか、と聞くと、いやちがう、とあっさり。昔、店の向かいに大きなキャバレーがあって、若かりし頃、大将はそこで働いていたらしい。大御所の歌手が色々来て、大将は坊や(カバン持ちやステージの司会)をやっていたので、歌手たちから坊っちゃん坊っちゃんと可愛がられていた。だから「坊っちゃん」にしたんだと。いい話だなと思った。やはり粘って正解だった。残って正解だった。新幹線もまだ、ある。
帰り際、宇都宮の満足度について聞こうとしたが、別のお客さんとアツい話になっていたので、店を出ることにした。駅まで少し距離はあったけど、夜風が心地よかったので、歩いて行くことにした。
途中立派な橋がかかり、そこから川が見えた。宇都宮の人たちの満足度については、勝手な妄想だったかもしれないけど、川を見ながら、また来る気がする、となんとなく思っている自分がいた。
川