制度導入以後、「苦労して取得しても教員免許は期限付。それなら生涯有効な資格の方がいい」という学生の声が聞かれるようになりました。実際、学生の教職離れは急速に進行し、小・中・高校教員をすべて合わせた20年度の競争率は3.9倍で、近年では最も倍率が高かった00年度の13.3倍から大きく低下しています。(連載第16回「学校の先生になりたい人が減っている!?」)。
反対に数少ないメリットとしては、更新講習の実施主体が大学となったため、これまでの研修とは異なる大学教員による講習を受けられたことが挙げられます。創意工夫のあるプログラムを用意した大学もあり、「大学での講習内容そのものは有意義であった」という意見がメディアで散見されました。しかし、上記の数多くのデメリットを上回るほどのメリットがあるとは言えないでしょう。
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では今回、教員免許更新制が廃止の方向となったのはなぜでしょうか?
それは、何よりも近年の深刻な教員不足に原因があります。21年7月11日の西日本新聞には、「教員不足、頼みは臨時免許 大学生にも…『乱発は制度形骸化招く』」という四宮淳平記者の記事が掲載されました。この記事では、大学や短大を卒業して取得する教員の普通免許ではなく、欠員を補うための臨時免許で教壇に立つ教員が、九州7県で急増している事実が報道されています。普通免許を取得した教員に免許更新制というハードルを課している一方で、臨時免許を大量発行しているのは大きな矛盾だと思います。廃止論が高まるのも当然でしょう。
教員免許更新制には数多くのデメリットがありましたから、制度廃止の方向に私は賛成です。しかし、それが教員不足を解消し、よりよい教育のあり方につながるかどうかは現時点では分かりません。
教員不足が深刻となった要因は、教員の労働環境が劣悪であることが、広く知られるようになったからです。ですから、たとえ教員免許更新制を廃止しても、部活動顧問のあり方や給特法の抜本的見直しによって教員の労働環境を改善しなければ、教員不足を解消することは困難だと思います。
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ここで振り返るべきは、教員免許更新制成立のプロセスです。いじめや不登校、学力低下といった教育問題は、さまざまな要因が複合的に関連して生じたものです。しかし、教育問題の要因を「不適格教員」の存在や「教員の質の低下」とする政権やマスコミの決めつけに乗せられ、「教員バッシング」に傾いた世の中の風潮が、制度の誕生につながりました。
たとえ後付けで「教員にとって必要な資質能力」の保証が目的だと言われても、当事者である教員には、不適格者探しの「罰則」のようなものとして受け止められたのではないでしょうか。更新費用も自己負担となっているのですから、なおさらそのように受け止められた可能性が高いと思います。これでは免許更新制に教員の支持は得られないでしょう。
よりよい教育のあり方を求めて、教員への「批判」を行うことは必要です。しかし、「批判」と「バッシング」は異なります。「批判」は改善への願いや意志を伴っていますが、「バッシング」は当事者を叩き、追い込むことになるだけだからです。教員免許更新制を成立させるだけでなく、現場教員を萎縮させ、その意欲を削いでしまったような気がしてなりません。萎縮し、意欲を失った教員が増加した学校現場に、志願者が集まらなくなったのも当然ではないでしょうか。
子どもや若者を育てる教員という仕事の重要性は明らかです。教員が若者にとって「魅力ある仕事」となるためには、一部のマスコミや政権による「教員バッシング」への批判と同時に、その「教員バッシング」に同調してしまった大衆意識のあり方をも問い直す必要があります。深刻な教員不足によって教員免許更新制の廃止が話題となっている現在、そのことが私たちに突き付けられていると言えるでしょう。