1994年、隣国のルワンダで民族同士の争いにより大虐殺が発生し、その紛争が飛び火する形で1996年にコンゴでも内戦が始まると、戦火は容赦なくルムラの村をのみ込んでいった。勤務先の病院も襲われ、ムクウェゲは32人の受け持ち患者と数人の同僚を虐殺された。
彼は生き延びた患者をより安全なブカブへと移動させると、現在病院が建つブカブ郊外の空き地にテントを張って、出産間近の女性たちを受け入れ始めた。診療を求めてやってくる女性患者は日に日に増えていった。その多くが妊婦や出産直後の女性ではなく、戦闘中に兵士や反政府勢力にレイプされた女性たちだった。
2012年9月、彼は招かれた米ニューヨークの国連本部の本会議場で、次のような演説を行った。
「私は本来であれば、『みなさまの前でこうしてお話をすることができてとても光栄です』とこのスピーチを始めるべきなのでしょう。しかし、今はそれができません。コンゴ東部では今このときにおいても、性暴力による被害者たちが屈辱的な環境に置かれているからです。私はいつも年老いた女性や少女が、母親や赤ん坊までもが、兵士たちに汚されているのを見ています。彼女たちの多くは性奴隷にさせられ、ある者は戦争の武器として使われています。16年間も、です。コンゴの豊かな地下資源のために、彼女たちは16年もの間、拷問を受け、女性としての尊厳を踏みにじられています」
そして、紛争を野放しにしている祖国・コンゴを非難した。
「私も『祖国を誇りに思う』とここで言いたい。でも、今はそれができない。16年間に50万人の少女たちがレイプされ、600万人の少年少女が殺害されているというのに、明確なビジョンも掲げず、彼らを守ることも、敵と戦うこともしない国家に所属することを、誰が誇りに思えるでしょうか――」
その演説から約2週間後、彼は自宅のブカブで「何者か」に襲われた。覆面姿の男たちに包囲され、強制的に車から引きずり降ろされたのは、彼が勤務先の病院から帰宅し、自宅のゲートをくぐり抜けた直後だった。
主犯格の男が彼の正面に回り込み、銃口をまっすぐに彼へと向けたとき、異変に気付いた専属ガードマンが慌てて飛び込んできた。男はまずガードマンに狙いを定めて引き金を引いた。炸裂音が空気を引き裂き、ガードマンが後方へ、ムクウェゲの体はその反対側へと飛ばされた。
襲撃者たちは動揺していた。ムクウェゲがわずかな隙をついて車の反対側へと回り込むと、銃声が数発響き、車に当たって金属片が周囲に弾けた。自宅の中から娘たちの悲鳴が聞こえた。ムクウェゲは必死に建物の中へと飛び込んで大声で周囲に救援を求めると、襲撃者たちは大慌てで逃走していった。
自宅では娘と姪が震えながらパニック状態に陥っていた。男たちは自宅に押し入り、娘たちを人質に取った上で、「叫ぶな、電話もするな」と命令していたようだった。外出中だった妻が慌てて自宅に戻り、青ざめた娘たちを抱きしめていた。
直後、ムクウェゲは家族を連れてベルギーへと避難した。
「あのときは『もう十分だ』と思ったんだ」
ムクウェゲは私のインタビューに当時の心境を振り返った。
「こんな環境では医療行為はもちろん、生存すらできない。家族もひどくおびえていたし、私は家族や子どもたちの将来について責任を負っている。私は、私の人生をやり直そうと思っていた。ベルギーの後に米ボストンに行き、どこかで研究職に就けないかとも考えていた」
「でも、ドクターはコンゴに戻ってきました」
私が尋ねると、ムクウェゲはなぜか笑った。
「パイナップルが原因だよ」
「パイナップル?」
「そう、パイナップル」と彼は笑いながら話を続けた。「私がベルギーに拠点を移したとき、何人かの患者から私宛てに手紙が届いたんだ。ブカブに戻ってきてほしいと懇願する内容だった。『あなたの面倒は私たちが見る。私たちがあなたの安全を守り抜く』とも書いていた。彼女たちは同じ文面を大統領や国連事務総長にも送っているらしく、そのコピーも同封されていた。正直、頭がどうかしてるんじゃないかと思ったよ。でもね、彼女たちはそのときすでに、私の航空券を買うために、みんなで収穫したばかりのパイナップルを売り歩いていたんだ」
私はいかにもアフリカらしい心温まるエピソードを必死にノートに書き留めた。
「それで私は帰ることを決めた」とムクウェゲは言った。「ブカブの病院に戻るとね、看護師や医師や治療中の女性たちが全員総出で病院の入り口や廊下やらで私を出迎えてくれた。アフリカだからね。それはもう、ものすごいお祭り騒ぎだった。私はその歓迎ぶりを見てね、もし私が将来ノーベル賞をもらったとしても、これほど幸せを感じることはないだろうと思ったんだよ。8歳だったあの日、医学の道を志して良かったと思った。誰かのために生きられるということは、実は誰にでもできることではないということを、自分は少しずつわかり始めていたからね」
ムクウェゲは予定の時間を30分ほどオーバーして私のインタビューに応じてくれた。
握手をして別れる瞬間、彼が私に述べた言葉が印象的だった。
「ノーベル賞なんていらない。私が欲しいのは、誰もが安心して暮らせる平和な地域だ。ノーベル平和賞なんていらなくなる世界が、いつかやってきてほしいと願っている」
(2014年12月)
※ノーベル委員会は2018年10月、デニ・ムクウェゲにノーベル平和賞を授与すると発表した。授与の理由は「性暴力という戦争犯罪に焦点を絞り、なくそうと努める重大な貢献をした」というものだった。