政府の海洋放出を止めた「反対」報道
三浦 2020年10月、政府が処理済み汚染水の海洋放出を決断しようとしたとき、木田さんは、地元漁師の怒りなど現地の反対意見を何回にもわたってテレビユー福島で放映しました。しかも福島県内での放映にとどまらず、YouTubeにもアップロードして全国の人々が視聴できるようにした。それによってSNSなどで海洋放出反対の世論が盛り上がり、政府は延期せざるをえなくなった。テレビでは特に「客観報道」や「両論併記」が原則だと言われていますが、木田さんたちの制作チームが明確に反対の立場を打ち出したのはとても新鮮でしたし、ビックリもしました。
木田 国の立場と地元の立場の両方を並べると、結局は力が強い国の考えに押し切られてしまいます。処理済み汚染水の海洋放出については、当時、県漁連など地元の漁業関係者たちは絶対に反対だと言っていた。その他にも反対や懸念の声が多かった。そのなかで、政府が地元の声を聞かずに海洋放出を決行してしまったら、大変なことになると思いました。福島には放射性レベルが高いがれきや燃料デブリをどうするかなど、今後原発の廃炉に向けて国や東電と話し合っていかなければいけないことがたくさんあります。それなのに、今の段階で、国と地元が決裂してしまったら、本当に取り返しがつかなくなってしまう。今までの自分の報道姿勢への反省もあり、できることをやろうと必死の思いで、地元漁師や水産関係者などの声を連日放映しました。放映地域が限られる地方局にとっては、全国に拡散させることができるYouTubeは今後も武器になると思います。
三浦 「AもBも」という両論併記ではなく、「AかBか」というどちらかの立場にたった記事というのは、多くの場合、その反対側の立場の人からクレームが来ます。特にテレビ局の場合は、スポンサーもいるので、クレームの影響は決して小さくないですよね。メディアは規模が大きくなればなるほど、危機管理の意識が強まって、過剰にブレーキがかかってしまう。木田さんのように、個の判断で一歩踏み出して「おかしいものは、おかしい」と言う勇気が、今のメディアには必要なんだと思います。
木田 今回一歩踏み出すことができたのは、検察庁法改正案に反対したネット番組を連日配信したChoose Life Projectや、地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備計画撤回の流れをつくった秋田魁新報の報道など先陣を切った人たちがいたからだと思います。最近は多くの市民が「おかしい」と声をあげていることすら、メディアが取り上げないこともある。メディアの存在意義が問われていると思います。
メディアと怒り
三浦 僕は福島に住み込んで取材を始めて3年半になりますが、誤解を恐れずに言うと、福島の人は優しい、時に優しすぎると感じるときがあるんですよね。地元メディアの中にもその優しさがあって、権力者との争いをあまり好まない風潮があるように思うんです。あえて悪意をもって表現すれば、そうした優しさが、浜通りに原発が並び、原発事故を起こしてしまったきっかけの一つにつながってしまったのではないかと。
木田 10年前は、原発に対してメディアはもっと怒っていたはずですよね。ところが今では、怒っているのが自分だけなのではないかと思うことがあります。僕は、10年前に原発が爆発したときから、今まで原発は安全だとだまされていたという怒りをずっと持ち続けているんです。この10年で避難した住民たちが帰ることができる地域が増えたり、新しい建物が建ったり、復興したところはあるかもしれません。けれども、何かにケリがついたというわけではない。現場に行くと、まだ帰れない場所が目の前に広がっていたり、100年くらい続いていた地域の祭りができなくなっていたりします。それでいて東京電力が「被害者の方々に寄り添う」と言っているのを見ると、言っていることとやっていることが違うんじゃないかという怒りを今も感じます。
原発被災地で失われたもの
三浦 僕は震災後10年が過ぎても住民が1人も帰還できていない旧津島村(浪江町津島地区)に行くと、あまりの惨状に怒りというより悲しくなってしまいます。その土地でずっと生きてきた人が原発事故でその土地を追われ、知らない土地で暮らす。彼らが奪われたものは、コミュニティや信頼という目に見えないもので、それは決して賠償金では解決できないものなのです。
木田 国や東電に対して除染による原状回復を求めた「ふるさと返せ 津島原発訴訟」の裁判でも、避難先で家を新しく建てて、新しい地域の老人クラブに入っているならそれでいいじゃないかと被告の国や東電側から言われていました。でも、ずっと暮らしていた土地を奪われるというのは、ほとんど人生を奪われたのに等しいものなんです。私は青森の田舎の出身なのですが、自分の祖母がおなじような状況になったら、比喩ではなく本当に死んでしまうのではないかと思います。でも、土地を奪われることに対する心情を言葉で伝えるというのはとても難しいんですよね。