旅館をボランティアの前線基地に
里見 僕は、震災前からまちづくりにかかわってボランティアをしていたこともあり、全国にたくさんの友人・知人がいました。震災当時、彼らはいわきまで駆けつけてきてくれたんです。ただ、いわき市のビジネスホテルと旅館はすべて満室で、アパートも空いていませんでした。友人・知人たちが、群馬県の前橋とか栃木県の宇都宮の宿に泊まって、早朝からいわきに通ってきてくれていると聞いて、とても忍びない気持ちになったんです。
三浦 震災直後の被災地には、本当に泊まるところがなくて苦労しました。僕は3.11の翌々日に宮城県の南三陸町という、津波の被害がとりわけひどかった町に入ったのですが、その後、会社からそのまま南三陸に住んでくれと言われ、現地で家探しをした経験があります。町中心部のほぼ全域が津波にのまれているような状態なので、もちろん借りられる家などはありません。それでもなんとか、1階と2階が津波で食い破られた大きな観光ホテルの上階がかろうじて使用可能であることを聞きつけ、その1室を1年間借りて、そのホテルで避難生活を送る約600人の住民たちと寝起きをともにしながら、当時は取材を続けていました。
里見 いわき市の沿岸部でも約300人が津波で命を失い、家を失った方もたくさんいらっしゃいました。旅館は中途半端に営業するとコストがかかるのでしばらく休館にし、僕は沿岸部の避難所に通って無我夢中で炊き出しなどのボランティアをしていました。
ところが、2011年8月ころになって、ふと自分の旅館を振り返って見ると、予約もゼロだし、この先どうしたらよいのかと意気消沈してしまったんです。代々の先祖たちだったらこの危機をどう乗り越えるのかと悩んでいたとき、全国から来てくれるボランティアの人たちの顔が浮かんできました。もともと湯治の温泉地ですから、布団と枕と温泉を必要な人に提供すれば、採算は二の次でもいい。この旅館は、ボランティアの前線基地として、疲れたからだを温泉で癒して自由に使ってもらいたい、と思うようになりました。ですから、建築・土木関連の企業から長期で借り上げさせてほしいという問い合わせもあったのですが、お断りすることにしたんです。
原子力災害ツアーから「考証館」の設立へ
里見 同時に震災後まもなく、「Fスタディツアー」と称して、原子力災害を被った被災地の案内をする活動も始めました。立ち入り制限が解除された双葉郡に入ると、そこにはいわき市とはまた違う風景が広がっていて、私自身、とても衝撃を受けました。現地の様子を知りたいと思い、双葉郡の方にお話を聞こうと思いましたが、お会いした方は、ツアーの参加者に対して口を固く閉ざしたままでした。後日、親しい友人にその理由を尋ねると、「原子力災害というのは、親族のなかにも加害者側も被害者側もいて語りづらいんだ」という話を聞いて、これはとても切ないことだなと思いました。
三浦 原子力災害について公的に語り継ぐ施設として、2020年9月に「東日本大震災・原子力災害伝承館」(福島県双葉町)が開館しました。一方、里見さんは、2021年3月に、古滝屋の宴会場だった一室に「原子力災害考証館 furusato」を開館されました。民間の旅館のなかにこうした展示スペースを設けることには、さまざまな意見もあったかと思いますが、開館に踏み切った里見さんにはどのような思いがあったのでしょうか。
里見 考証館をつくるにあたっては、公的・民間ともにさまざまな方に相談しました。なかには「いまでも放射能の影響が残る観光地という誤解を受けるのではないか」と危惧する意見もありました。それを聞いて、旅館やまちづくりをやってきた自分があえてやらなくてもいいことだよな、とやる気を失ってしまったときもあります。
でも月日がたっても、原子力災害についてしっかりと検証して、そこから対話が生まれるような場所はなかなかできませんでした。そうしたなかで、双葉郡の原子力災害の被害者の声を残したいという思いが強くなり、自分の旅館のなかにつくれば自分が責任を取ればいいことだとも思うようになりました。やったほうがよいのか、やらないほうがよいのか……ずっと思い悩んでいたのですが、震災から10年が目の前に迫ってきたとき、一緒にやりましょうと手伝ってくれるボランティアのチームができて、ようやく2021年に展示を始めることができました。