「民間」だからこそ生まれる展示のリアリティ
三浦 最初に展示を見たとき、公的な施設とは随分と異なっているなと思いました。公的な施設の場合は、たとえば津波で曲がったガードレールなど、見た人が傷つかない、誰が見ても行政にクレームがつかないような展示になっている。他方、里見さんの「原子力災害考証館」には、津波で行方不明になった娘を探している木村紀夫さんの写真があったりして、原発事故によっていかに町や暮らしが変わったのか、人間がどのように傷ついたのか、ということがひと目でわかるリアリティがあります。とても力のある展示だなと思いました。
里見 2014年に水俣の公的な水俣病資料館と、民間の水俣病歴史考証館に訪れる機会がありました。公的な資料館は、データなどを中心に、水俣病の悲劇を淡々と表現していました。ところが、もう一つの民間の考証館に入ると、展示のリアリティに驚愕したんです。水俣病患者たちが掲げていた「怨」というのぼりが立っていて、猫に対する実験小屋もそのまま展示されてあり、当時にタイムスリップしたような気持ちになりました。この「原子力災害考証館」の展示について考えていたときにも、水俣病歴史考証館で体験した感覚が残っていました。
三浦 沖縄県のひめゆり平和祈念資料館や広島県の平和記念資料館を見たとき、それらは公的な資料館でしたが、被害状況の展示もわかりやすいし、解説もダイレクトにメッセージが伝わってきました。ところが、福島県の公的な「原子力災害伝承館」では、どこか奥歯にものがはさまったような説明で、伝えたいものがダイレクトに胸に響いてこない。そもそも原子力発電は地元の行政が国と一緒になって推進してきたもので、原発は安全だという神話をつくりあげて、それを積極的にPRしてきた歴史があります。地元の行政にも多かれ少なかれ、加害者性があるわけなんですね。だから、どうしても行政が展示施設をつくる場合、それが原子力災害がどういうふうに起きたのかを学ぶ施設にはならずに、いかに震災から復興に向けて行政と住民が手を取り合って歩んできたのかを示す施設になってしまう。展示を見ていても、行政側がその責任の一端を担っていたということが引っかかって、どうしてもすんなりと受け入れられない。説得力に欠けてしまうようなところがあるように思うんです。
里見 ここ(考証館)には、訴訟関係の陳述書なども展示してあります。公的施設を見ると、訴訟関係のものは全然展示されていないんですよね。国が被告ですから、都合が悪いものはみんなに知られたくないのかもしれません。裁判では、事実が公的に記録されています。だからまずは、いい悪いではなく、その事実を展示する。そしてそれをみんなで見ていただき、そこから対話が生まれてほしいと願っています。公的機関ができないのであれば、それを補うためにも、今後も訴訟関係の展示には力を入れていきたいと思っています。
三浦 訴訟関係の資料を1カ所で保管して見られるというのは、とても貴重だと思います。文字どおり、「証」(あかし)を「考える」、「館」ですね。
地理的にいわきというのは、結節点としての役割を果たしているように思います。首都圏から来る人たちにとって、いわきは、原発被災地の入り口で、ここから先の双葉郡に行くと、より本格的な原発被災地の風景が広がっていく。いわきは、水族館のようなレジャー施設や温泉もあって、首都圏からも気軽に訪れやすい場所でもあります。被災地を知る「初めの一歩」となるこの場所に、「原子力災害考証館」があることの意味はとても大きいと思いますし、それを民間の手でつくろうとした勇気に心から敬意を表したいと思います。