自分のことを何も知らない人と同じゲームで対戦する。私の名前すら知らない相手。そこには確かにどこかの誰かがいるのに、何だか気負うこともなく一緒にゲームができる。会話なんてものはほとんどなく、あいさつをするだけ。でも確かに人と接している。この感覚は私にとってとても大事でした。
「人付き合いも悪くないかもしれないな」
そう思えるまでには結構時間が掛かったけど、好きなゲームのために他者と交流する。これは自然に頑張ることができたし、明るい自分を取り戻すことができました。
逆にゲームをしていて「これは良くないな」と思うのは……やっぱり面白過ぎると、なかなかやめられないところですかね。自制心を鍛えなければなりませんね。
何を考えているか理解できない!
さて、「ゲームで遊ぶ」ということに対しては寛容だった両親ですが、「ゲームを仕事にする」と言った時には、それはもう大大大反対でした。
そもそも私は、「ゲームをもっとしたいから」というのが主な理由で、大学を出て就職した会社を退職しています。そんなことを快諾する親はそうそういませんよね。その時にはとてもとても両親を悲しませました。
「目が眩むほどショックだった」と、今でも母は言います。
それでも反対を押し切って仕事を辞め、フリーターをしながらゲームに打ち込み、そして2年後、「プロゲーマーになるね」と報告しに行きました。そこで見た「もうあんたが何を考えているかお母さんには理解できない!」と、怒りなのか悲しみなのか、母の“絶望”といった表情は今でも忘れられませんね……。
大学進学のために家を出てからも親とは何かあれば電話で話して、たまには帰省もしていたのですが、「ゲームで食べていく」という生き方を始めてからはすっかり疎遠になってしまいました。たまに母から電話がくれば、「いつゲームをやめるの?」「いつまで夢を見ているの?」「いつまで学生気分なの?」「いい加減に地に足つけて生きなさい」という説教のオンパレードが始まり、最後はけんかになって電話を切ります。私だってけんかをしたいわけじゃないのだけれど、親を納得させられるようなことを言えないし、プロとして認めてもらえるような結果も出せていない。だから疎遠になっているのは悲しかったし、悪いと思いながらも、ぐっとこらえてゲーマー生活を続けていました。
でも今思うと母がこれだけ大反対して、厳しい苦言を並べてくれたからこそ、私は頑張ることができたんでしょうね。きつい事をたくさん言われ続けて、それでもやりたい事なら本気で頑張れ! そういう母なりの優しさだったんだろうなぁと。もちろん私の生き方が理解できないのは本当だったでしょうけれど、何だかんだ止められませんでしたからね。逃げ道を作らないようにしてくれたんでしょう。
今は何となく、ゲームで生きていくという一つの形を作れつつあるので、大反対はされなくなりました。ですが先日話した時も、母は「今やからこそ“いろんな生き方がある”と思えるけど、やっぱり否定的なところはまだあるわ」と言っておりました。
テレビや雑誌で「プロゲーマー」や「eスポーツ」についてたくさん特集していても、やっぱりどうしても理解できない。それは、プロゲーマーが日本ではまだ職業として成り立っていない、世間からも認められていないからでしょう。テレビ番組などで取り上げて頂くのはありがたいんですが、どうしても「賞金」「賞金」とお金のことばかりで、肝心の活動内容や、ゲームをプレーする以外のことを取り上げてくださる企画が少ないという事もあるかもしれません。あと、プロゲーマーとしてゲームに関わる仕事でお金をちゃんと稼げている人は、まだ一握りでしょうから、それも仕方がないのかもしれませんね。
今までの「プロゲーマー=賞金稼ぎ」みたいなところから一歩抜け出して、例えば試合に出ることで報酬が得られたり、単にゲームをしたり大会で勝つ以外の活動も含めて評価されたりする。それで月給制、年俸制のプロゲーマーがたくさん増え、きちんと長く続くような仕組みであればプロゲーマーも職業として認められるのか? やはり“ゲーム”がベースである限り、どこまでいっても職業としては認められないのか?――。ここはとても興味がありますね。
ゲームが認められるためには……
そこで、以前から気になっていた「もしゲームがオリンピック種目になったら、スポーツとして受け入れられる?」という質問を親にしてみました。すると、ゲームについて詳しく知らない私の両親でさえ、「そらーオリンピック種目になれば、それはスポーツやろなぁ」と答えていました。
なるほどそういうものなのか、と。ゲームがオリンピック種目になるには様々な課題があると思いますが、あれだけプロゲーマーに否定的な私の両親がそう言うのですから、もし課題を乗り越えてなれたとしたらゲームの未来は明るいかもしれませんね。
私は学生時代に部活で陸上競技をやっていましたが、トレーニングを重ねることで身体能力を上げていくスポーツと違い、勝ち負けに直接影響するキャラクターの性能をメーカーがプログラミングによって自由に調整できるという点や、相手を攻撃する、倒すといった描写のあるゲームが果たしてオリンピックのような大会の種目になれるのか。いくら競技人口が多くても、結局はサッカーやバスケットボールといったスポーツゲームと肩を並べることは難しいのか。その辺りは今後どのようになるのか気になりますね。
何にせよ、もし将来オリンピック種目になれば、ゲームに対する見方がいい方向に変わるかもしれませんから、コミュニティーをないがしろにせず開かれた形でゲーム界が進化していくといいなぁと思います。
私は自社「忍ism(シノビズム)」の事業の一つとして、若い格闘ゲームプレーヤーの育成にも取り組んできました。選考試験に合格した3人の若手プレーヤーをいつか世界大会で活躍できるような、そんな選手に育成していくというプロジェクトなのですが、この企画を始めた16年当時は3人のうち2人が中学生でした。ですのでプロジェクトを始める前に育成選手たちの保護者にご挨拶をさせてもらいました。
その時、保護者の方が言われていた「ゲームだからうーん、と思っちゃうところもあるんですけど、でもこの子が本気で頑張りたい、と言うので応援したいと思うんです」という言葉がとても心に残っているんですよね。完全に認めているわけではないけれど頑張るのであれば何であれ応援したい。私もそんな親になりたいなぁと思います。
私にもしも子どもができたら、「ゲームをやってはいけない」とは絶対言わないです。「プロゲーマーになる!」と言われたら「おいおいちょっと待て。ちゃんとした契約なのか? 内容を確認させて」とは言うでしょうけど、ゲームをやらせないことは絶対にないですね。何なら一緒にゲームをするかもしれません。
ゲームをやる前に学校の課題、やらなければいけないことをきっちりやる。そして決められた時間以上にはだらだらゲームをさせない。そういった“ゲームとの上手な付き合い方”を徹底させたうえで、一緒に遊びたいと思います。
ゲームには娯楽のためのツールというだけでなく、それ以上の可能性がたくさん詰まっています。しかも今は時代の流れがゲームに対して追い風です。日本ではゲームに関わることを専業にできるほど稼げているプロゲーマーはまだほんの少数なので、安易にプロゲーマーを目指してほしくはないですが、たくさんの可能性でより多くの人が輝けるようになる日を私は楽しみにしています。
そして親世代がゲームを“悪”として一蹴しないような日がいつか来るように、私も頑張らなきゃいけません!
それではまた次回。