会社を辞めてゲームに生きる!――そう心に決めた時から、〈チョコブランカ〉に重くつらくのし掛かってきたもの。それは子どもの頃から教育に厳しかった両親の猛反対だった。どんなに言葉を尽くしても到底納得してもらえない、でもゲームで生きていくことは諦められない。今回は、葛藤の末にラスボス「母」との対決に挑んだ思い出を振り返り、そこから改めて感じた親のありがたみやゲームの将来性について語ってみた。
ゲームは1日1時間までという掟
「ゲームを思う存分遊びたい!」 「好きなだけゲームをしていたい!」
皆さんの中にも子どもの頃、そう思った人はたくさんいるでしょう。私も、もちろんそうでした。宿題やテスト勉強そっちのけでゲームをやりたい……。でも「ゲームは1日1時間!」と、かの有名な高橋名人(1980年代のファミリーコンピュータ全盛期に子どもたちのカリスマ的存在だった人)が生み出したお決まりの決めぜりふを口にしながら、それを絶対に許してくれない敵がいました。
そう、お母さんです。私の家では、この呪文のような言い付けを破って遊んでばかりいようものならゲーム機を隠されてしまい、お許しが出るまでゲームができなくなりました。またゲームをしている最中に、ゲーム機のコンセントを引っこ抜かれて「あああー! セーブしてなかったのにー!」なんてこともありました。
そんな経験、皆さんにもあるのではないでしょうか? 今日はそんな私の親とゲームとの関係を振り返ってみようと思います。
私が生まれて初めて遊んだゲームは、1983年に任天堂が発売した家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」の「スーパーマリオブラザーズ」(任天堂)でした。幼稚園に入るよりも前に、あの四角いコントローラーを握りました。
当時、なぜか私の家にはファミコンがあったんですよね。
“なぜか”と言うのには理由があって、私の両親は二人ともゲームにはほとんど興味がないタイプです。父の趣味はクラシック音楽鑑賞と旅行、母は愛犬を可愛がり、たまにお友達とコンサートに行く。そんな両親なので、ゲーム機で遊ぶ姿はまず見たことがありません。母は78年に登場したアーケードゲームの「スペースインベーダー」(タイトー)がブームになった頃、喫茶店で少し遊んだことがあったらしいです。が、両親がゲーム機で遊んでいる姿を見たのは、私が任天堂の家庭用ゲーム機「Wii」(2006年発売)を買って帰り、半ば強引に私が誘って家族皆で遊んだ時ぐらいなものです。
ですから、そんな両親がファミコンを自ら購入したとは思えなかったんですよね。そこで先日、地元へ帰省した際に両親に質問してみました。
「どうしてうちにファミコンがあったの?」
すると父は、「職場の後輩だった若い子が、『新作のゲーム機を買うから少し壊れかけだけどファミコンあげますよ』ってな。巷で大ブームなのは知ってたから、どうせやからもらっとこうと思ってもらったんや。でも結局、裕子が遊んでいる時に壊れて画面が映らなくなったから、新しく買い直したんやぞ」と。
なるほどー! 父の職場の後輩のおかげで今の私があるのですね。その後輩さんはきっと、後継機だった「スーパーファミコン」(1990年発売)を買ったのでしょうね。
ゲームをやるため頑張った幼少期
私の両親はゲームに興味がない人たちでしたが、私や弟がゲームをして遊ぶことに対しては、時間を守ってさえいれば怒ることはありませんでした。欲しいゲームソフトがあれば、誕生日やクリスマスといったイベント時に買ってくれました。ゲームで遊んでばかりで宿題をしていなかったら、もちろん怒られましたけどね。
小学生になると、週2回のピアノの他、習字、英語、水泳などいろいろな習い事を始めたので、友達と遊ぶ時間は減りました。私ははやりのテレビ番組やアニメはあまり見ておらず、学校でそういった話題には付いていけなかった記憶があります。大人になってから、母に禁止されていたのかなーとも思っていましたが、こちらも母に確認したところ単純に習い事で忙しかったようです。
ピアノや水泳、英語なんかは自分で行きたいと言い出して始めたらしいです。そういえば、ピアノの練習をさぼった時に「やめたいならやめると先生に電話しなさい。続けたいなら自分で月謝を払いなさい」と言われ、その月は貯めていたお年玉で月謝を払った覚えがあります。結局やめることはなく、ピアノは高校卒業まで続けさせてもらいました。
記憶があいまいであまり覚えてないのですが、全然ルールもわからないのに近所の将棋会に顔を出してみたり、お花を生ける会に参加してみたりした記憶があるので、幼い頃の私は好奇心旺盛で、何でもやってみたい性格だったのでしょうね。
これまでは、私が『セーラームーン』や『ドラゴンボール』の話題に付いていけないのは両親のせいだ――なんて思っていましたけど、自分で選んでそうしていたようです。私の両親は厳しい、と決め付けていたのは間違いだったのかもしれません。
学校ではきちんと勉強して、習い事をたくさんやり、他の友達のようにはテレビも漫画も見ない私でしたが、ゲームはそこそこやっていました。ゲームソフトはあまり持ってなかったので、お気に入りのゲームを繰り返し遊んでいました。そのうち新しいゲームソフトが欲しくなると、限られたお小遣いで数が増やせるよう、高価な最新作ではなくワゴンセール品になったゲームソフトを好んで買いました。どんなゲームかわからないけれど、パッケージを見て想像して、ワクワクして買う。それが大当たりだった時は大発見だし、そうでない時もとりあえず遊んでみる。
そんな感じだったので、私の好みのゲームは世間一般で人気だったものとは少しずれています。「あのゲーム面白かったんだよ」と話をしても伝わらないことが多いですが、伝わった時の喜びは格別です。少し話がそれましたが、そんなこんなで勉強とゲームを両立させるようになるべく頑張って、ゲームで遊ぶことを許してもらう幼少期でした。
ゲームは“悪いもの”なのか?
2000年に家庭用ゲーム機「PlayStation 2(PS2)」(ソニー・コンピュータエンタテインメント)が発売されると、どうしても欲しかった私は「誕生日に買ってほしい」と、両親におねだりしたのを覚えています。しかしPS2はゲーム機だけで4万円近くもしたので、それだけでは「うん」と言ってもらえず、「じゃあピアノのコンクールで入賞したら誕生日に買って!」と約束を取り付けました。
で、見事入賞した私に、母はPS2を買ってくれました。やることをやればゲームをやってもいい――というスタイルですね。ゲームを買ってほしいから頑張る、早くゲームがしたいからさっさと宿題を終わらせるなど、ゲームをモチベーションにして物事をこなす。これは私には結構、性に合った方法でした。
ゲームといえば“悪いもの”というイメージが世間一般では根強いと思いますが、付き合い方次第なんじゃないかな? と思います。ゲームで遊んでばかりいて勉強をしなければ駄目だし、運動をまったくしないのも駄目。だけどゲームとうまく付き合うことで、自分の能力アップにもつながると思うんですよね。
戦略性のあるゲームなら、攻略を生み出すためにたくさん考えて頭を使うし、友達と意見交換してコミュニケーションも広がる。ゲームクリアという目標達成のために考え、ゲームのストーリーに想像を巡らせる。それは社会で生きていくのにも使える能力だと思います。
今の私の生き方には、もちろん今までたくさんゲームで遊んだ時間が生きているし、「ゲームで遊んではいけません」と拒絶せずにいてくれた両親に感謝しています。
「ゲームをやっていて良かったな」と思うことは、他にもあります。
それは「ストリートファイター」(カプコン)という対戦型のゲームをやり始め、ゲームセンターに通うようになってからよく思うことなのですが、人付き合いの良い練習の場になるということです。
私は、こう言うといつも「うそだ」と言われるのですが、人と話すのが苦手だったし、人付き合いも苦手でした。もともと自分の考えを言葉にすることが不得手で、他人との距離感を上手に保てないタイプだったので、ストレスをため込んでいました。ストレスをためるくらいならもう仲良くしなくていいや、とか思っちゃうようになったり……。
大学に通うため一人暮らしを始めたはいいけど、学校になじめずクラスメートとの付き合いもおっくうになってしまい、心が荒(すさ)んで、自分の殻の中に閉じこもりがちだった私を再び外に連れ出してくれたのはゲームでした。ゲームセンターでゲームをするようになって、見ず知らずの人と対戦して「ありがとうございました」と会釈をする。この繰り返しが、人付き合いのいいトレーニングになったのです。