雲の切れ間から顔をのぞかせる太陽の光が、真夏の扉を開けようとしています。今年の梅雨明けはいつ頃になるのでしょうか。
クヌギの古木、通称「やまおやじ」のいる雑木林、「萌木(もえぎ)の国」は、冬に伐採してから春には新芽が吹き出しました。その頃は清々しい様相をしていたのですが、わずか3カ月の間に枝々が成長し、下草も大人の背丈ほどに伸びてブッシュの状態です。そろそろ下草刈りをせねばなりません。
こんな頃、明るい雑木林を黒いアゲハチョウが時々横切っていきます。クロアゲハにしては飛び方が優しげです。よく観察すると、尾状突起が長く、ヒラヒラとたなびいているように見えます。全体的には、スマートな感じがします。
下草に翅を休めた時にそっと近づくと、それはジャコウアゲハでした。この蝶はアゲハチョウの仲間ですが、クロアゲハやアゲハチョウとちがって、出会えるのは局地的です。オスの翅は真っ黒で、メスの翅は黄土色がかった灰色から暗めの灰色をしています。胸部から腹部にかけて赤い模様が見られるのも特徴です。
ジャコウアゲハの幼虫の食草は、ウマノスズクサです。この植物は有毒のアリストロキア酸を含み、それが幼虫の体内に蓄積されます。成虫になっても体内に毒成分が残るため、鳥などもジャコウアゲハを捕食しません。体の赤い模様は、天敵への警戒色だといわれています。
ウマノスズクサの葉をちぎると臭いにおいがするのですが、ジャコウアゲハも体に触れると一風変わったにおいがします。エキゾチックな麝香(じゃこう)の香りにも似ているので、この名前がついたのでしょう。
ウマノスズクサが生えているのは、雑木林ではなく田んぼの土手や空き地など何気ない場所です。私が今までにウマノスズクサを一番よく見かけたのは墓地です。墓地は砂や山土など水はけの良い土壌であるのと、空間が広く日当たりも良いため、ウマノスズクサにはもってこいの環境のようで、旺盛に繁殖します。こうした場所では、タイミングが良いとたくさんの幼虫が見つかります。ただし、黒い体に白い帯のある風変わりな姿のイモムシなので、誰もアゲハチョウの仲間の幼虫だとは思わないでしょう。
実は、ジャコウアゲハは、熱帯アジアに生息するトリバネアゲハ(トリバネチョウ)の仲間と近い種類です。だから幼虫の姿は、トリバネアゲハにそっくりなのです。私はこれまで、マレーシアやインドネシアでたくさんのトリバネアゲハに出会ってきたため、ジャコウアゲハの幼虫を見ていると、その時の熱い興奮が蘇ってきます。
梅雨明け間近の湿度の高い微妙な季節に現れる、熱帯の異国からやって来た天使のような蝶、それがジャコウアゲハなのです。
「萌木(もえぎ)の国」
琵琶湖の北部、滋賀県高島市マキノ町にある、今森さんが30数年前から管理している雑木林。
尾状突起
チョウの後ろ翅(はね)の縁に見られる、尾のように長く伸びた部位のこと。
食草
その昆虫がえさとする特定の植物のこと。