念のためにつけ加えておけば、これはLGBTQ+という表現がもう過去のものだとか無意味だということではないし、またSOGIという観点が完璧に普遍的だというわけでもありません。どんな概念も万能ではないのですから、議論の文脈に応じて適切な言葉遣いを探っていけばよいのです。
Q3: SOGIという言葉が生まれた背景について教えてください。
20世紀後半、国際的な人権保障の実践にジェンダーとセクシュアリティに関する問題を組み込もうとする機運が高まってきたものの、宗教的・文化的な背景を盾にしてそれに反対する国も根強くあり、壁に直面していました。そこで、先ほども言いましたが、同性愛とかトランスジェンダーとかいったカテゴライズではなく、より普遍性が高く包括的なSOGIという概念を用いる戦略がとられるようになった、というのが私の理解です。
2006年、人権保障のエキスパートたちがインドネシアに集結し、性的指向とジェンダー・アイデンティティが国際人権法の中でどのように扱われるべきかを議論して「ジョグジャカルタ原則」を作り上げました。これはあくまでも民間の文書なので法的な強制力はありませんが、ジェンダーとセクシュアリティに関わる人権保障の推進に大きく貢献したと評価されている国際文書で、後の国連人権理事会による「SOGI決議」(2011年)などにも影響を与えました。なお、つけ加えておくと、性的指向とジェンダー・アイデンティティというそれぞれの概念自体は何十年も前からあったのですが、国際的な人権保障の場面では長らく性的指向についての議論が先行しており、ジェンダー・アイデンティティの方は立ち遅れていました。両者を合わせて一つのテーマとして掲げるようになったのはジョグジャカルタ原則の前後くらいからのようです。
Q4:SOGIのGI(ジェンダー・アイデンティティ)については、「ジェンダー」の記事で詳しくうかがいました。突きつめれば、男性、女性という「記号」によって自分が承認されたい、あるいは逆に望まない「記号」を割り当てられたくはない、という感覚がGIだということでしたね。では、SO(性的指向)とは何でしょうか。
性的指向とは、ある人のセクシュアルな感情・欲望が主に異性に向けられるか、同性に向けられるか、あるいは両方なのか、それとも対象の性別は問われないのか、ということを表す概念です。
……と、短く言えばこのような定義が一般的で、それで概ねよいのですが、さらに深く掘り下げようとするとたちまち難しい作業になりますね。そもそもセクシュアリティとは何なのか。先ほど話に出たジョグジャカルタ原則では、性的指向について、相手に対して「emotional, affectional and sexual」な意味で惹きつけられることだと単語を連ねて定義されていますが、じゃあエモーションとアフェクションとセクシュアリティはどう違うのかと訊かれたら、英語のネイティブ・スピーカーの多くも困るのではないでしょうか。日本語で言えば「性欲」と「恋愛感情」はどちらもセクシュアリティに含まれるでしょうが、相手とセックスはしたくないけど抱きしめられたいとかいった微妙な感情はどうなのか。さらに話を拡げるなら、そもそも欲望とか感情とかを分類するとはどういうことなのか。掘り下げていくとこうした謎が次々に出てきます。
ちなみに、SO(セクシュアル・オリエンテーション)は「性的指向」と訳すのが主流で、かつて見られた「性的志向」という訳は間違いだとされています。セクシュアリティのあり方は本人の意志で決められるものではないので、意志の「志」という言葉を使うのは適切ではないというわけです。現在では大勢がこうした考えを支持していますが、セクシュアリティは可変的であると考え、そのとおりに実践する人たちもいることは忘れないでおきたいですね。人間の性に関して、最終的な結論などどこにも存在しないのですから。
Q5: SOGIについて調べると、「Gender Expression(ジェンダー・エクスプレッション=ジェンダー表現)」のEを含めた「SOGIE」や、さらに身体の性的特徴である「Sex Characteristics(セックス・キャラクタリスティックス)」を加えた「SOGIESC(ソジエスク)」という言い方があることを知りました。「ジェンダー表現」や「SC」についても教えてください。
ジェンダーと呼ばれる現象には複数の層があって、性的指向とジェンダー・アイデンティティはそのうちのふたつを取り出したものです。全部でいくつの層を認めるのかは論者によって違いますが、いずれにしても、SOGIには収まらない層にも注目すべきだという声が出てくるのは必然でしょう。
最もよく取り上げられるのはGender Expression(GE)で、「ジェンダー表現」と訳されています。ごく大まかに言えば、ジェンダー・アイデンティティが主に内面的な部分を表すのに対して、こちらは他人から見えるような部分のジェンダーを表します。服装、メイク、しぐさ、言葉遣いなどですね。
Sex Characteristics(SC)の方は、生物学的な観点から見られた性別に備わっているさまざまな特徴のことで、簡単に言うといわゆる生物学的性別のことです。生物種としてのヒトは有性生殖する動物の一種であり、雌と雄とを集団としてみた場合、生殖器官の違いをはじめとしてさまざまな肉体的・心理的違いがあるわけですが、それを表すのに「ジェンダー」とは区別される「セックス」という言葉を使っています。ただし、そうした特徴に基づいて出生時に判定される性別は「割り当てられたジェンダー」(assigned gender)という言い方をします。肉体のあり方そのものと、それを私たちがどのように分類し、違いを意味づけるかは次元の異なる問題だということです。