〈「小児科医と考える、子どもを性被害から守るためにできること(前編)~『性被害に遭う子どもは1日1000人以上』、まず現状を知ってほしい」からのつづき〉
近年、さまざまな研究によって、子どもに対する性暴力は、被害に遭った子どもたちのその後の人生を左右するほど深刻なダメージや高いリスクを与えることが明らかになっている。子どもを性被害から守る仕組みが不十分な日本において、「知ること」の先に大人は何ができるのか、「ふらいと先生」こと新生児科医・小児科医の今西洋介先生にうかがいました。
子どものときに受けた性被害のダメージは生涯に及ぶ
――性被害そのものが非常に過酷な経験といえますが、特に子どもの場合、どのような影響が出るのでしょうか。
性暴力はPTSD(心的外傷後ストレス障害)に非常につながりやすいという国際的な研究結果があり、PTSD診断の持続する期間についても平均9年以上に及ぶことがわかっています。これは事故災害の倍以上で、性被害に遭ったことによって、それだけ長い間、解離やうつ、不眠や食欲不振、幻聴などが続くということです。その上、それらの症状を性被害と結びつけられなかったために、本来、治療すれば回復するはずのPTSDに長く苦しんでいる被害者も少なくありません。
さらに、子どものときに受けた性被害はその子の人生を大きく変えてしまうほど深刻な影響を及ぼす可能性があります。小児性被害の経験がある人は、被害に遭っていない人に比べ将来うつ病になる確率が5倍、将来の自殺未遂率が2倍以上というデータがあり、「魂の殺人」と言われる性被害経験の過酷さがうかがえます。メンタル面だけではなく、性被害は子どもの将来の身体の健康にも大きなダメージを与えます。多数の研究から、生活習慣病の発症、肥満、がん、心臓や肝臓などの病気の発症率が高くなることが明らかになっています。
性被害も含めた虐待や両親の離婚など、トラウマにつながりかねない「逆境」を18歳までに経験すると、危険な性的行動、喫煙や大量の飲酒など将来の健康リスクを高める行動が起きやすくなるという研究結果もあります。要因のひとつは、コルチゾールという「ストレスホルモン」の分泌増加で、それにより、神経系やホルモンなどの内分泌系、免疫系などの発達にネガティブかつ劇的な変化を及ぼしてしまいます。こうした逆境体験は脳にも損傷を与え、いつもボーッとしている、何を考えているかわからない、注意散漫、集中できないなどの症状を生み出すこともわかっています。
私の専門である公衆衛生の視点を付け加えると、子どものときに性被害に遭うと、自己肯定感が低くなったり、他者への共感力が下がったりして、人間関係をうまく築けない傾向が強まるということも問題です。これは、被害がなければ築けるはずだった人間関係が奪われるということで、それにより医療へのアクセスが悪くなると予想されるなど、心身の健康に多大な悪影響を及ぼすと言えます。
――PTSDは治療できるとのことでしたが、子どもが性被害に遭ったら早く治療を進めることで、そうした悪影響を抑えることは可能なのでしょうか。
前編でも述べたように、性についての知識や経験をまだ身につけていない子どもは、自分の身に性暴力が起きたと認識することが非常に難しいと言えますが、それでも、なんらかの形で被害を伝えてくれることも多いのです。男性器を「毒キノコ」、「どじょう」と表現した子どももいます。言葉ではなくとも、お腹が痛い、頭痛がする、朝になっても起き上がれないといった身体的な不調として現れることもあります。大人の側がそれをちゃんとキャッチできれば、早い段階で性被害の長期的影響から子どもを救い出すことが可能になります。何より、「周囲の大人が自分を気にかけてくれている」と子どもが思える環境をつくっていくことは、性暴力という、人への共感や信頼を叩き潰されるような出来事を経験した子どもたちにとって、きわめて重要と言えます。
子どもの異変がどのような形で表に出てくるかは個人差が大きいですが、「たいしたことではない」「気のせいだ」などと取り合わないでいると、それだけ被害の発覚が遅れてしまいます。身体の不調が長引くようであれば、そのままにせず、病院で診てもらうのがよいと思います。受診して「特に問題はない」と言われても、続けて診てもらう中で、また別の検査をすることもできます。そうやってコミュニケーションをとっていくうち、あるときポロッと被害を打ち明けてくれる子どももいます。
小児科医という「入り口」と男子の相談先
――性被害に遭ったかどうかははっきりわからないけれど、子どもになんらかの気になる兆候がみられるとき、どの診療科を受診すればいいでしょうか。
腟や肛門の傷、炎症などの症状がある場合、女子の場合は産婦人科、男子であれば泌尿器科で、より専門的な診察・治療を受けられます。初経が来ていれば小学生でも妊娠する可能性がありますので、性交から72時間以内(早ければ早いほど効果が高い)に服用する緊急避妊薬を、産婦人科で処方してもらってください。産婦人科や泌尿器科にいきなり行くのはハードルが高いというときは、かかりつけの小児科医に相談し、連携している地域の医療機関を紹介してもらうとよいでしょう。
小児科医は子どもの身体を診る専門家というだけではなく、子どもの味方、代弁者でもあります。近年、日本小児科学会は子どもへの性虐待の対応に力を入れており、2024年1月には「子どもへの性虐待に関する提言」の中で、「積極的に『子どもの味方』として、子どもの性虐待を含む子どもに関わる全ての権利侵害について発信すると同時に、全ての小児科医がこの問題に関して適切に対応できるよう」力を入れていくと宣言しています。今後、日本の小児科で、性被害に遭った子どもへの対応についてのトレーニングなどがさらに充実していくと、期待されます。
――それは心強いですね。ただ、中学生ぐらいになると、小児科に行くことに子どもが抵抗を感じるようになるかもしれません。
私が今住んでいるアメリカでは18歳まで小児科医が診ることができるので、思春期の子どもたちも「困ったら、あの先生のところに行こう」と思えるような信頼関係を小児科医と築けていたりします。しかし日本の場合、小児科が対象とするのは15歳までです。16歳、17歳の子どもが、それまで行ったことのない産婦人科や泌尿器科に行くのは、確かになかなか難しいと思います。
先ほど、男子の場合は泌尿器科と言いましたが、泌尿器科と言っても高齢者に多い前立腺のトラブルを主に診ていて、性被害のケアについて詳しくない医師もいます。故ジャニー喜多川氏による性暴力が大きな問題になったことで、男子も性被害に遭うという認識はだいぶ広がってきましたが、男子が相談できる場所は、日本では非常に限られているのは問題です。
最近、ユースクリニックという、若者たちが心や身体、性の悩みなどを気軽に無料で相談できる場所が日本でも増えており、全国に60カ所ぐらいあると聞いています。問題解決の入り口になり得ると期待していますが、まだ地方では少ないようです。一部の大学病院等で設けられている思春期外来のように、センシティブな問題を抱えやすい思春期の子どもたちが受診しやすい医療機関がもっと増えてほしいと思います。
――性暴力の被害者を支援する「性犯罪・性暴力被害者のためのワンストップ支援センター」は、各都道府県に最低1カ所、設置されていますが、男子には対応していないのでしょうか。
ワンストップ支援センターでは、医師による治療、カウンセリング等の心理的支援、捜査関連や法的な支援といった、総合的な支援を可能な限り1カ所で提供しています。しかし、そもそも予算や人員が不足していて十分なケアができないワンストップ支援センターも多く、被害者は女性であると想定されていることがほとんどで、男子が相談できるかどうかは心許ないのが現状です。
アメリカにもワンストップ支援センターと似た仕組みとして、チャイルドアドボカシーセンター(CAC:Children’s Advocacy Center)というものが全米1000カ所以上で運営されています。日本のワンストップ支援センターとの大きな違いは、CACはその名の通り、子どもの性暴力被害者支援に特化しているということです。たとえば、性暴力事件の捜査において、子どもの心身を守りながら正確な事実の聞き取りをするためには、子どもの成長・発達に合わせた対応が必須ですが、支援する側にはそれを可能にする知識や経験が不可欠です。日本でも神奈川県に2カ所、CACがあり、被害に遭った子どもを傷つけない事情聴取のあり方を実現させようと奮闘しています。