「日本は世界に冠たる造船大国で、驚きの技術で客船からタンカーまでを造ってきた。たとえばプロペラは水の抵抗が強いと燃料を余計に使ってしまい、ノイズが発生して乗組員の心身にも悪い影響を与える。だから抵抗が少なく、ノイズの発生しにくいプロペラを愛媛県の工場で開発しました! みたいなVTRが番組内で流れるんです。それをひな壇に座っている俳優や元グラビアアイドルが見て『こういう細かい技術で船を造ってきたなんて。さすが日本ですね』『同じ日本人として誇りに思いますね~』と誉めそやす内容で。技術を開発した人は確かに偉いかもしれないけれど、だからといって日本人全体が偉いわけではない。台本に書いてある言葉を読んでいたのでしょうけど、気持ち悪いなあって思ったんです(笑)。でもこういう根拠のない『日本人はすごかった!』的な言説は戦前や戦中にも腐るほどあったので、ネタの使い方の変わらなさに強く興味を惹かれたのが、『「日本スゴイ」のディストピア』を書く動機になりました」
確かにノーベル賞受賞者やオリンピックメダリストが、素晴らしい力を持っているのは事実だ。しかし彼らの功績は本人のものでしかないのに、なぜか「日本スゴイ!」の文脈に落とし込まれてしまうことも多々ある。早川さんはその「勘違い」こそが、ナショナリズムの基本形態だと分析する。
「海外で事故に遭った被害者が顔も知らない人でもそれが日本人だとわかると胸が痛むことがありますよね。その共感や連帯感はナショナリズムのわかりやすい特徴です。しかし、ハッキリ言って同じ日本人というだけでしかありません。でもそのような勘違いを人為的につくりだして、他人に言うことを聞かせるための手段にしてしまうのが、ナショナリズムや愛国心と呼ばれているもののおっかないところです。この『勘違い』を、美談をネタにして知的好奇心を刺激しつつ与える手法が、今のテレビ番組には多く見られます。でもそもそも『日本スゴイ』コンテンツって、共感抜きには成立しないんですよ。『やったことはすごいけど、人間的には最低で本当にイヤな奴だな~』って人は、『日本スゴイ物語』にはなぜかあまり登場しないんですよ、不思議なことに(笑)」
テレビでは今でこそ「日本スゴイ」が花盛りだが、書籍の世界では約20年前から、その傾向が見られ始めていたそうだ。つまり急に出来上がったブームではなく、じわじわと土台が築かれどんどん育っていった結果が今なのだ。早川さんはこう説明してくれる。
「書籍での出発点は、95、96年頃だと思いますが、様式美が確立したのは2000年前後だと思います。原型になったのは自由主義史観研究会と藤岡信勝さんによる『教科書が教えない歴史』(産経新聞ニュースサービス、全4巻)ではないかと。あの本は産経新聞の1996年から97年までの同名連載をまとめたものなのですが、日本人による美談の集積なんです。読み手が『こんなに素晴らしい日本人がいたんだ!』という共感を得られる内容になっていて、出版当初は『自虐史観を打ち破る』という文字がオビにあったのですが、2005年に再版されたときには既に『すごい日本人がいた、日本に誇りを持てる』に変わっていました。国民の物語としての“日本スゴイ”の原点は、まさにこの本ではと思っています」
森友学園問題のインパクト
20年かけてじわじわと地道に作られていった「日本スゴイ」ブームだが、それは決して盤石ではなく、潮目が変わるきっかけはある。その一つが森友学園問題なのではないかと、早川さんは見ている。「今回の森友学園の件で大きかったのは、『こんな幼稚園があったんだ……。愛国を謳っているけど、すごく異様だ……』というネガティブな驚きが、多くの人の間で共有できたことです。さらにもう一つ、報道が大きくなり問題化してきたあとは名誉校長になった安倍晋三首相夫人やそれまで支持を表明していた政治家たちが、一斉に手のひらを返して学園バッシングを始めましたよね。彼らを見て戦争中は愛国教師が子どもたちを殴ってしつけていたのに、敗戦を境に平和教育に目覚めたのと同じ二面性を感じ取った人は多いのではないかと思います」
“戦前や戦中の日本人は、つましくも健気でエラかった”という物語はあちこちに転がっている。しかし早川さんの著書『「日本スゴイ」のディストピア』によると、小学生男子を中心に組織された大日本少年団の子どもたちは、とんでもない目に遭ったという。1940年に新宿駅や大阪駅をはじめ全国26駅に派遣され、駅前広場の整理などに当たった。彼らは、出札口で順を守らぬ者、待合室で大の字に寝る者、煙草の吸い殻を所きらわず捨てる者、サイダー瓶をわざと(!)壊して捨てた者、を目撃し注意したという。そのときの大人の反応を「注意されたとき率直に自己の非を認めて改める人が少い」と記録している。五族協和を謳うアジアのリーダー日本人は、子どもの手本となるどころかわざとサイダーの瓶を壊して捨てていたのだ……。
「“日本スゴイ”の幻想を打ち砕いて戦前や戦中を見つめ直すために僕ができることは、こういう『どうでもよすぎて、今までほとんど語られてこなかった庶民のどうしようもない生活』を探し出してくることだと思っています(笑)。大日本帝国の所業についてとか大きなところから見つめ直すのは、政治家や学者のみなさんがまじめにやってほしいと思います。『キモいな~』とか『うわっ! こんなだったのか』とか、思わず笑ってしまうような〈他人に言うことを聞かせるための技術〉の大日本帝国における現象形態を集めて、それを伝え続けるのが自分のテーマだと思うんですよね」
早川さんが集めた写真や資料は、一見バカバカしく思えるプロパガンダの裏で、たくさんの人が命を落としてきた時代の証言でもある。かつての日本人の姿を美化することなく受け止め、それをどう思い行動に反映していくかの結果は、この先の未来につながっている。
弾道ミサイルが飛んで来たら窓から離れれば回避できるかどうかは、現段階ではわからない。ただ政府は役に立つかわからないマニュアルで敵愾心を煽るのではなく、外交努力で戦いを未然に防ぐ義務があると思う。だからこれが後世の人たちにとっての、ディストピア的な笑い話になって欲しいと切に願っている。