2015年にノーベル文学賞を受賞したベラルーシ出身の作家、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチによる証言集『戦争は女の顔をしていない』は、1985年に原著が刊行され、日本でも2008年に群像社により翻訳出版された(現在は岩波現代文庫に所収)。そのコミック版(小梅けいと作画、KADOKAWA)は、2019年4月にComicWalkerで連載が始まってすぐに、読者から熱い歓迎の声が寄せられた。
舞台となっている「独ソ戦」に関しては、ナチスの蛮行や太平洋戦争と比較すると、これまで日本ではあまりスポットが当たることがなかった。コミック版の何が読者を引き付けたのか、そしてマンガだからこそ伝えられるものはあるのか。コミック版の監修を担当した、マンガ家・速水螺旋人(はやみ・らせんじん)さんに話を聞いた。
500人以上の「語り」から、見えてくる戦争
独ソ戦とは1941年から45年にかけておこなわれた、ナチス・ドイツとソビエト連邦との戦争のことだ。日本で戦争というと、どうしても太平洋戦争や日中戦争に意識が向いてしまう。1971年生まれの速水さんは、どのようなきっかけで「大祖国戦争」(ロシアによる独ソ戦の名称)に興味を持ったのだろうか?
僕ぐらいの世代は、小学生の頃にジュブナイル(少年向け)の戦記物や、戦車・戦闘機の模型が好きなミリタリーオタクが、クラスに一人はいました。僕もそんな一人だったんです。
その後、中学2年生のときに、映画にもなったトム・クランシーの『レッド・オクトーバーを追え!』を読みまして。1980年代半ばの冷戦時代の米ソ対立を舞台にした作品なのですが、80年代当時の「現代」に登場する船のことはまったく知らなかったので、資料の本を買いました。それを見ると、アメリカの軍艦はイメージ通りの現代の軍艦だったのですが、ソ連の軍艦というのが、自分の思っていた常識とはかけ離れたデザインのものばかりで……。「なんじゃこれは!」と驚いて、興味を持ち始めたのがきっかけです。
「大祖国戦争」というのは日本では知られていないというより、ソ連とドイツが戦ったことは知っていても具体的にイメージできないものだと思います。ものすごく広大な土地で繰り広げられた戦いであり、ソ連側だけでも2700万人亡くなっている。スケールが大きすぎてどのように切り取ってみても、なにがなんだかよくわからない。
独ソ戦が舞台のファンタジーコミック『靴擦れ戦線 ペレストロイカ』(徳間書店)や、架空の国同士の戦いを描いたコミック『大砲とスタンプ』(講談社)など、速水さん自身もマンガ家としてコンスタントに作品を生み続けてきた。いわば第一線で活躍するマンガ家が、他のマンガ家の作品(コミック版『戦争は女の顔をしていない』)を監修するというのは、珍しいケースに思える。
『戦争は女の顔をしていない』がコミカライズされるとは思ってもいませんでした。わざわざアレクシエーヴィチ氏サイドに直接許諾を取りに行く人がいるとはまさか。なので自分が描くつもりもなかったのですが、小梅けいとさんがコミカライズに挑戦するという話を聞いたときは、「ああやられた、悔しい!」と勝手に思いましたね(笑)。
担当編集の方からお話をいただいたときにはすでに企画が進んでいて、最初から「監修でお願いします」ということでした。独ソ戦については、僕よりもっと詳しい人がたくさんいるので、監修の立場で関わるのも正直言うと「荷が重いなあ」と思いましたが、そうも言っていられまいということで、引き受けました。エポックメイキングな名著ですし、なにより自分も好きな本ですからここで逃げてはあとで絶対に後悔します。関わってから力不足で後悔するほうがずっとマシですから。編集さんと小梅さんには無責任なことで相すみませんが……。
『戦争は女の顔をしていない』は、日本で翻訳された直後に手に取りました。ソ連に前線で戦う女性兵士がいたことは、それまでも知識としては知っていましたが、この本に登場する女性たちの、身体感覚みたいなものにずいぶん衝撃を受けました。約500人にインタビューしていて、実際に戦争に行った人じゃないと語れない強烈なエピソードがたくさんある。
戦争から数十年経ってから聞き取っているので、語っていることのすべてが真実かどうかは、実はわからない。戦時中の事実を伝えることがいちばんの目的の本ではないですから。アレクシエーヴィチも証言を検証していませんしね。元兵士の女性が戦争をどう記憶しているのか、またその時代や自分の生き方をどう評価しているのかということから、500人分のフィルターを通すことで当時の時代状況や社会、人々の痛みや誇りといったものを俯瞰していく本だと思うのです。
感動だけではなく、「わからない」を認める大事さ
登場する女性たちは、「銃後の守り」ではなく、自ら志願して戦場に向かい、銃を持ってドイツ兵を狙撃する。負傷したら体に刺さった破片を自分で取り除いて包帯を巻き、敵機撃墜のために戦闘機にも乗る。「やっぱり女は」と言われたくないがゆえの勇ましさを、存分に発揮していくのだが、男と同じになりたくても女性には月経がある。物資不足の中、行軍中に股から血が流れ出て、それが暑さで乾いてガラスのようになり、容赦なく肌を切りつける――。戦争がなければ、こんな辱めを受ける必要もない女性たちの姿と思いを、コミカライズした小梅さんは柔らかな筆致で描き出していく。だからこそ読み手は、羞恥とも憐憫とも説明がつかない気持ちにさせられ、引き込まれてしまう。
コミック版のさまざまな反響を受けて、速水さんは自身のブログで、以下のように記している。
そして、僕はこの作品で泣いたり感動したりエピソード集として楽しんでも別にいいのだろうと思うのです。自分の情動を止めることなどできますまい。僕も群像社版を読んで、まずそういう楽しみ方をしました。
幸いにして、人は世界についてもうちょっと複雑な受容ができます。