『この世界の片隅に』が描かなかったもの
2016年に公開されたアニメーション映画『この世界の片隅に』(片渕須直監督)は、観客から絶大な支持を集めた作品として今も記憶されています。なぜ、戦争をテーマにしたこの作品が支持を集め、ロングランのヒットとなったのか。当然ながらこの映画の内容に多くの人が共感したからにほかなりません。
満州事変から敗戦に至る十五年戦争を背景に、主人公の少女すずさんが成人して結婚し、戦争が激化する中で苦難に耐え、明るく希望を失わず夫や家族と共に生きてゆく姿に感動を覚えた人も多いことでしょう。この作品のヒットは、木下恵介監督の『二十四の瞳』(1954年)や市川崑監督の『ビルマの竪琴』(1956年)が当時の観客から絶大な支持を集め、今も日本における反戦映画の名作として位置づけられていることの延長線上にあります。
その一方で、日本では、ホロコーストをはじめとしたナチスドイツの戦争犯罪を主題とした作品が、劇場でもDVDでも年々人気を高めています。最近では、ホロコーストの計画実行者であったナチスドイツの高官ラインハルト・ハイドリヒを主人公にした『ナチス第三の男』や、ナチス戦犯裁判を描いた『顔のないヒトラーたち』などが上映され、人気を博しました。
このように、日本人の戦争被害を描いた『この世界の片隅に』が支持される一方で、ナチスドイツの戦争加害を題材にした映画が人気を博するというのは、まことに奇異な印象を覚えます。
日本の戦争については『この世界の片隅で』を通じて観て、その一方で遠く離れた欧州の戦争加害の映画を好んで観るという興味深い現象です。いわば、「戦争被害」は日本の戦争被害者で追体験し、「戦争加害」は他国の戦争犯罪で追体験する。
これでは日本人は、あの十五年戦争という、日本が二十世紀に体験した未曾有の大戦争を、一方の側からのみ観察していることになるのではないでしょうか。
映画評論家の佐藤忠男は『日本映画思想史』(三一書房、1970年)で、木下恵介監督の『二十四の瞳』について、「われわれは、ただ、戦争によって、平和を破壊され、純真な若者の多くを失ったのだ、という感慨を得るだけで、敵にどれだけの損害を与えたのかという点が全くぬけ落ちてしまう」(267頁)と指摘しています。
『この世界の片隅に』で、すずさんがあたかも音楽を奏でるように楽しそうに料理をする場面は微笑ましく、この作品の名シーンの一つになっていますが、少し想像力を働かせてみると、そのすずさんの楽しそうな姿、その家事は、呉軍港で軍属として働く夫を送り出すことに関わっています。その呉軍港から軍艦が出撃していく海の向こうでは、中国大陸や東南アジアへ侵略戦争を行う日本兵たちが、無辜(むこ)の市民を殺傷し、国際法で守られているはずの戦時捕虜に対して残虐な行為を働いていたのです。それを考えれば、すずさんの楽しそうな料理の場面も、総力戦となった侵略戦争の末端の戦争加害者の姿として映るのではないでしょうか。しかし、私たちはこの映画を観ても、そこまで思い至らないはずです。
これは日本の戦争映画の大部分が抱える問題点の一つです。日本本土の日本人にとっての戦争の記憶は、ミッドウェイ海戦の敗北後、南太平洋のガダルカナルから反攻を開始して飛び石伝いに太平洋の島を侵攻してくる英米連合軍による上陸戦や空襲であり、戦後の映画でも、日本人は戦争の被害者であり続けました。戦争によって受ける苦しみとして想起されるのは、学徒動員、サイパンの玉砕、沖縄戦、特攻隊、本土大空襲、そして広島と長崎への原子爆弾の投下……。
それらは、学徒兵の悲惨な運命を描いた『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』(1950年)や、沖縄戦を描いた『ひめゆりの塔』(1953年)、特攻隊員の苦悩と死を描いた『雲ながるる果てに』(1953年)、原爆投下の広島の悲劇を描いた『ひろしま』(1953年)などで映画化されています。
これらはみな日本人が受けた戦争の苦しみだけを訴えた映画なのです。
アメリカの映画監督、オリバー・ストーンは来日した際に講演で次のように語っています。
日本の人たちは歴史を知らない。米国人と同じだ。自分の国の歴史を知ることを阻まれているのではないかと感じました。(中略)日本の学校教育の中では、日本が中国に侵略し、そして満州に侵攻し、韓国を侵攻し、東南アジアにも侵攻したことについて教えられていないのではないかと思います。そのような所で米英軍の捕虜に対してひどい扱いをし、フィリピンでは「バターン死の行進」も行なった、残酷非道な振る舞いについて子どもたちに教えられていないのではないかと思います。(オリバー・ストーン、ピーター・カズニック、乗松聡子著『よし、戦争について話をしよう。戦争の本質について話をしようじゃないか!』株式会社金曜日、2014年)
ストーン監督の指摘は日本における戦争映画事情にもあてはまります。日本による戦争加害を描く映画は、海外では製作され、公開されていますが、それらは日本国内ではほとんど公開されず、また日本では加害を描いた映画はごく僅かしか製作されていません。
戦争加害を描いた映画を拒否しないドイツ
日本の侵略戦争によって被害を受けた人びとや、対日戦争に参加した国々の人びともまた、苦しみを持ち続けています。日本で空襲や原爆の被害を受けた記憶が映像化されるのと同様に、日本の侵略戦争に苦しめられた国々の人びとが日本によって受けた戦争被害を映画として描くことは当然のことでしょう。
そうした、日本の戦争加害、あるいは日本から受けた戦争被害を描く映画群を「抗日映画」といいます。
抗日映画とはどのように定義され、分類されるのか、また、反日と抗日の違いや、どのような作品があるのかをご説明しなければならないのですが、字数の都合もあるので、主な抗日映画を表組みで紹介しておきます。
これらの作品では、日本軍による残虐行為が生々しく描かれているのですが、これは日本人にとっては観るに堪えないものであることは事実でしょう。だから、日本人は抗日映画から距離を取ってしまいます。1998年に中国・香港・台湾合作の映画『南京1937』(95年)が日本で公開された際に、横浜の映画館で、右翼を名乗る男性によってスクリーンが切り裂かれるという上映妨害事件がありました。この事件が映画配給会社や上映館に与えた衝撃は大きなものがありました。