タピオカミルクティーのカフェやファッションアイテムの店が、連なるように道の両脇に並んでいる。その間をぬうように、たくさんの人が歩いている。「ボスキン」(路上ライブ)を取り巻く輪も、ちらほらでき始めてきた。
韓国・ソウル市内の弘大(ホンデ)エリアは、24時間人の絶えることがない繁華街だ。その弘大駅の地下鉄出入り口付近にはいつも、『BIG ISSUE』(韓国版)の販売人が立っている。この日も路上に幾冊も並べられていたが、その中に慰安婦被害者のイ・オクソンさんの顔があった。思わず手に取り、約450円出して買ってしまう。
92歳になるイ・オクソンさんとはこの数日前に、日本で会ったばかりだった。彼女は自身をテーマにした『まわり道』という映画の上映会に合わせて来日し、神奈川県内のホールに集まった約180人を前にこう語った。
「(旧日本軍は)中国を侵略し慰安所を作り、私たちを押し込めた。私たちは慰安婦ではなく、強制労働の被害者。慰安婦とは日本軍が私たちに、勝手につけた名前だ」
「皆さん、よく考えて欲しい。娘が年頃になったからといって、日本軍に自ら差し出す親がこの世にいるものか」
日本人は人はいいけれど、日本政府は悪い
イ・オクソンさんは1927年9月に、釜山で生まれた。14歳の頃に蔚山(ウルサン)という町に働きに出された彼女は、その後、現在の中国吉林省に連れていかれ、慰安婦としての生活を余儀なくされたという。解放後も戻ることができず中国で生活していたが、2000年に韓国に帰国して以来、慰安婦被害者を支援する「ナヌムの家」(韓国・広州市)で過ごしている。
彼女とは2016年2月に、そのナヌムの家で一度話している。この時はまだ、私はオクソンさんのことをあまりよく知らなかった。「慰安婦被害者の方と話がしたい」と伝えたら、彼女の部屋に案内されたのだ。
壁に幾枚もの写真が並ぶ空間に座り、カトリック教徒の彼女は聖書を読んでいた。そして絞り出すような声で「アンナ」と、自身の洗礼名を口にした。
「アンナ」はズボンのすそをまくり、日本兵に傷つけられて手術したと語って、脚の傷跡を見せてくれた。この時の私は、どんな言葉をかけていいのかわからず、戸惑っていた記憶がある。黙っていると、彼女は途切れることなく話を続けた。
「あなた方はかわいそうだ。こうして私の話を聞きに来ないとわからないなんて」
「日本人は人はいいけれど、日本政府は悪い。お金を持ってきて私たちの口をふさごうとしてもそういうわけにはいかない。そういう日本を受け入れた韓国政府も悪い」
「どうして日本語を覚えたか。それは慰安所で『どうしてお前ら日本語を使わないのか』と怒られるのが怖いから、少し覚えた。『あいうえおかきくけこ』を勉強した。以前は通訳はいらなかったけれど、中国の山間部で50年以上暮らしてたから、日本語に出合う機会がなくて忘れてしまった」
2015年12月28日、安倍晋三政権と当時の朴槿恵政権の間で「日韓合意」が締結された。慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的に解決させる」ために、韓国政府が設立する財団に日本政府が、10億円を供出するというものだった。岸田文雄外務大臣(当時)は、慰安婦問題を「当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」とし、日本軍の関与を認めた。しかし日本の法的責任については、認めなかった。これに対してオクソンさんをはじめとする、被害当事者は猛反発していた。
「日本は私たちが死ぬのを待っている。お金が欲しいのではなく、謝って欲しい。日本政府は一度ここに来て話を聞いてくれればいいのに、それすらしない。もう80歳以下の人はいなくて、100歳近い人もいる。解放されてから何年も経っているのに、なぜ今まで謝罪がないのか。小泉首相の時に会おうとして日本に行ったけど、会えなかった。安倍首相が慰安婦被害者についていろいろ言っているのも知っている。あれでは、解決するはずはない」
そして慰安所にいた頃、強い薬を飲んだせいで黒ずんでしまったという手で、私の手を握ってこう言った。
「また来なさい。毎日来なさい」
私たちが死んでも、問題はなくならない
しかしまた私が訪ねる前に、彼女の方が日本に来た。
この3年の間に変わったこと、そして変わらなかったことがいくつもある。変わったことの筆頭は、日韓合意による供出金を支払うために設立された「和解・癒やし財団」の解散だ。同財団には「日本は戦争責任を認めぬまま、見舞金だけ拠出するのか」と、発足当時から被害当事者をはじめ、韓国国内から激しい反発があった。17年に発足した文在寅政権は、19年7月に同財団を正式に解散している。
「安倍首相に会ったら『謝罪をしてくれ』と言いたいが、(彼は)『自分たちが強制したわけではない』と言っている。私たちは慰安所に自発的に行ったわけでも、お金が欲しいわけでもない。慰安所について、幼い子どもたちがわかって行ったというのか。考えて欲しい」
映画『まわり道』の上映会に先駆けての記者会見で、オクソンさんはこう話した。慰安婦被害者は戦争が終わってから一度も、日本政府から公式な謝罪を受け取っていない。3年どころか、1991年に金学順(キム・ハクスン)さんが初めて名乗りをあげてから約30年、事態は変わっていない。一方、韓国政府が認定している慰安婦被害者は240人いるが、2019年10月時点の存命者は20人となった。日韓合意時に存命だった被害者が47人だったことと比較すると、半数以上が亡くなっている。病院で介護されていたり、認知症が進んで人前で話すことが困難になった女性もいる。
「一緒に戦ってきた仲間を思うと、胸が痛い。日本政府は私たちが死ぬのを待っているとしか思えない。しかし私たちが死んでもこの問題はなくならない」
以前にも増して声を絞り出すように話しているものの、その張りは健在だ。さらに「あいちトリエンナーレ」で起きた、「平和の少女像」撤去事件については、こう語った。
「私たちは幼い頃に連行された。そのことを記憶するために少女像があるのに、なぜ日本はその展示に反対するのか。私たちは好き好んで(慰安婦に)なったのではなく、強制的にそういう状況に追い込まれた。嘘をついているということが誤りで、お金を稼いだのだから公式賠償は必要ないという声も誤り。(私たちを罵る声には)あきれて何も言うことはない」
そして、こう続けた。
「ある意味で、当時私たちを痛めつけた軍人も強制的に兵隊にされたから、かわいそうだと言える。しかしそれで終わりにしたくない。