「死にたい」
そう思うようになったのは、いつからだろうか。初めて「死」というものを考え始めたのは、中学3年生の夏。まだ、夏風が吹き出したころの心地よい日を、私は援助交際という名の犯罪で得た1万円を握りしめて学校から帰ると、すぐさま自転車に乗り、あちらこちらの薬局から睡眠導入剤を買い集めた。10錠入りの箱を10箱、合計100錠の薬を手に入れた。
その次の日、私は学校で放課後、友達の家の前で、買ってきた薬を飲みました。別に、これは死にたかったわけじゃない。そこらで売っている薬で簡単に死ねるなんて思ってもいなかったし、事前にネットで念を入れて調べていたから死なないのは当然のことだと思っていた。だから後のことも考えて、「遺書」と題したレポート用紙を、口がかるいとうわさの友達に渡し、その子の前で薬を飲んだ。予想通り、その子は私が倒れて救急車で運ばれた後、レポート用紙を先生に渡し、その後両親が学校に呼ばれた。
なんで、そんなことをしたのかというと、大人に気づいてほしかったから。社会の善という言葉に消されず、「私はここにいる」という確信がほしかったから。それだけに過ぎない。それだけのために、ここまでするのには、ちゃんとした理由があった。それだけの「わけ」があった。
私は、無力な16歳です。まだ、一人では生きていけないし、自慢できることも特にありません。けれども、好きなことは二つあります。本を読むこと。文を書くこと。その好きなことを生かして、文を書きたいと思うようになりました。
「私」をわかっていない「私」が書く文は、雑で不器用かもしれません。ですが、それでも、大の大人に伝えたいこの思いを、少しでも多くの人に汲みとって頂けたら幸いです。
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